2009.06.20

多々あって休み

Miya
 そして私はギフトのオバサンとなって元気に活動している。まだ繁忙期ではないが、仕事は絶えることなくある。もう五年もやっているけど、毎年、一日が終了してはその日を塗りつぶしてカレンダーから消す、その日の仕事タイムを記入してはその日の報酬計算をする。それが元気の素のような感じだ。実際、好きな仕事であり、ほとんど嫌なことは無い。体力低下だけが不安を毎回かきたてる。それでも、その日になれば、また元気に出かける。何なのだ。わからないけど、笑顔だから、いいか。

 何なのだということは、もっと不思議なこととして起こった。幼なじみのミチコちゃんが誕生日プレゼントとして「デジカメ買う足しにして」と現金プレゼントしてくれた。こうでもしなければきっと私は「ご臨終」と言われるまで使っているだろうと思ってのことではないだろうか。一瞬、固まったが、次の瞬間「・・そうだね」と思った。「お気持ち、生かすよ。」その翌日にコトは起こった。どんなに打ってもシバイても、液晶画面は現れることなく真っ暗。私の両手は真っ赤。「ああ・・・」と思った。そしてデジカメをしかと撫でていた。「もう、この辺で・・・」と、力尽きたのだ。私の心の動きに安心したかのように。今は胸痛く、あまり考えきれないからギフト仕事に出てよかったと思っている。今度の休みに電気店へ行ってみよう。淡々とことは運ぼう。でも、友だちの亡き骸をゴミにはしない。それは思っている。

 そんなこんなで、少し休みのマイ・ブログ。元々が更新が頻繁でもない気まぐれだけど。写真、アップするものがないので、昔のファイルを探し出して一枚。これは以前に家族に教わってパソコンで遊んだお絵描き。ストックの花を生けていたのでストックを描いて、風吹かせて、風まかせの女性も、という適当なお絵描き。テレビで故障中に画面に出るようなもの。テレビはたいてい「申し訳ないっ!」という絵柄だけどちょっと横着、失礼。「ごめんなさーいね。ちょっとお休みよ・・」なんてね。でも、どうか懲りずにまたお越しくださいねっ!

| | コメント (4)

2009.06.13

筆置きを作った

 Hudeoki1Hudeoki2

筆置きを作った。昨年秋に沖縄へ行った時に浜辺で拾った素材を組み合わせて作った。湾曲している方は貝殻で、筆置きにちょうどいい塩梅に角を成している方は石。どちらも何も手を加えることなく単に接着剤でくっつけた。結構気に入っている。よく使うデスク上のボールペンの指定席ができた。ペン皿はこまめに掃除してないとホコリが溜るし、パッと筆記具を持って書ける、すっと置ける。転がらない。

 似たような筆置きをいくつか作ったことがある。本当に筆置くこともあるし、待機しているものもある。とにかく、旅行に行った思い出というだけでなく、私は日頃から枯れ木や枯れ枝、石ころなどを何か実用的なものにして楽しむのが好きだ。そういうことを生活の中で見知った子どもがよく拾って帰ったものだ。台風の後などは下校途中でマツボックリや折れ枝をたくさん拾って帰ってきた。私は大喜びで迎えた。たいしたことないものを作るのだが私にはその過程が楽しくてならない。詩人のように心の中でその素材と話しながら夢中になる。

 沖縄の海は美しくておおらか、そして豪快だった。毎日この筆置きを見ていると、優しく楽しい気分になれる気がする。でもあと数日経つと筆置きなど夢のことのような、筆ペン数本をエプロンのポケットに入れてのし書きに追われる日々が来る。お中元商戦がやって来る。元気にガンバ!

| | コメント (0)

2009.06.05

青いアジサイも咲いて

Aoajisai
 庭にある大きな株のアジサイの花の色はピンク。だんだんと赤紫色に近づいてゆく。玄関先にも小さなアジサイが咲いている。これはいただいたアジサイの挿し木が育ったもので花の色は青い。近い場所なのだが土の成分も違うのかもしれない。そしてこちらも、だんだんと紫色へと変化していっている。形も小さく、また二輪しか咲いていない。しかし二輪、並んでいる。なんか微笑ましい。

 そーかー、これは私ら夫婦かもねーと勝手に思って納得。二人とも同じ年の六月生まれ。大変呑気な似た者夫婦でおめでたい。誕生日、夫の方はしっかり双子座だ。私は極めて蟹座に近い。なのに夫は表裏どころか二面性はなく、シンプルで解りやすい。私は双子座(ジェミニ)の二面性激しく、また気まぐれである。この夫でなければ、私なんて「不可解な妻」で多分三行半もらって離婚のハメになっていたと思う。運命のありがたいこと。
早々と二人の友人mokoさんから誕生日祝いをいただいた。映画で話題になった「つみきのいえ」という絵本。人の心や想いを丁寧に扱っていてファンタジックな作品だ。何回もめくって読んだ。こういう絵が描け、言葉が書けたら素敵だなあ。ありがとう。

| | コメント (2)

2009.05.29

アジサイが咲いて

Ajisaigasaite
 薫風、突風、強風注意報と風がバンバン吹いているこの頃。庭のアジサイが次々と咲いている。30年以上前にアリスがバンドとしてブレイクする少し前に「紫陽花(アジサイ)」という歌を出した。堀内 孝雄作曲で彼が歌っていた。しかし演歌のようでなく、まあ歌謡曲と言えばそうだが妙に情感が溢れていた。母を亡くしてまもない頃だったし、最後のあたりの「けれど、私はひとりきり」というフレーズに目頭押さえていた。陶酔してたわけだが、当時は「愛のふるさとは何処にある・・」との出だしにもフガーッと涙していた。まあセンチなことはあるさ、でもこうして今になると水やりしながら陽気にアレンジして鼻歌だ。「けれど私は・・・」の決めの部分では宝塚風にオーバーアクションになって水やりのホース振り回し、水止めてはいたけどアタッチメント部分をマイクにやや熱唱。建築中の隣家にいた職人さんに見られた。スコスコと家に逃げ入った。

 100年に一度という不況の世界は100年に一度のチャンスがあるかもしれない。がんばろう。どうしたらいいかわからないけど、がんばろう、世界の人々。日本の人々。特に、我が家。私。13年前の阪神淡路大震災の後、プロ野球チームのオリックスがヘルメットの横とユニフォームの袖部分に「がんばろう神戸」というスローガンを付けていた。それを見てハッとした。「がんばれ」でなく「がんばろう」という言葉の強く温かい力をバリバリ感じたからだ。一緒に、やってやろうじゃないかという意気込みが嬉しい。笑って、力まずにがんばろう。何を!?生きることと、その枝葉になること。エダハ?そう、諸々。小さな花の集合(実際は花ではなくガクの変形であるが)がアジサイのように大きな一つの花になっていくかも。調子付いて歌ってはいるが、私は決してひとりきりではない。

| | コメント (2)

2009.05.22

薫風

Kunpuu
 気温は高いが風が爽やかに吹き抜けるこの頃。八十八夜が過ぎ、初夏の様相しきり。三十年前のことだ。やはり今時分。私は生け花の教授者になるための試験を受けた。三日間、朝から夜まで花を生けることと指導することの実技にどっぷり浸かった。最終日、その最後には大作の自由作品が言うなら最終試験であった。テーマ「薫風」で、花材だけ指定され、花器はどれを何個組み合わせようが自由、会議用テーブル1本大きさに収まるようにというだけの条件だ。大きさ的には中作であるが、インターン生には大作だった。全国から集まった同期生十数名、どうしよう、どうすると言い合ったが、やがてそれぞれ動いた。私も自分の「薫風」に取り組んだ。毎年この時期になるとこの時のことが甦ってくる。そして、あんなにプレッシャーがあってもそれ以上にパワーもあった自分を思い出す。ひたむきな思いが昨日のことのように思われる。

 薄茶の茶碗に小さな花生けをした。庭のカエデを少し手折り、添える花を探すが、どれもほとんど終わり際で困った。かろうじてなんとかしっかりしている残り花をわずかに摘み、添えた。ポンポン菊とナデシコ。ゆらゆらと枝先が揺れるカエデのイメージが何か今ひとつ表現できない感はあるが、即席での今日の薫風の最小表現。

 友人から絵画展のお誘いメールが届いた。心地よい風の中、美術館へ向かう十日後が待ち遠しい。

| | コメント (0)

2009.05.15

ドクダミの花

Dokudaminohana
 ドクダミの花がまた咲く季節となった。私はドクダミの花が咲くと毎年一枝とかを小さく生けているけど、今年は眺めて暮らそうと思う。知らないといかにも毒ありそうな匂いが、今では流行の体内の解毒(デトックス)作用があるとなると人は突然「そんな感じがする」と言う気がする。
 花が咲かない内は、根茎でダーッと増え広がる葉をことごとく引き抜いてしまいたいと私は思ってしまう。ところが花が咲くと決してそうは思わない。白く清らかで愛らしい花だ。
 洗面所の外側、外壁にフキン干しを取り付けていて雑巾掛けにしている。使って洗い、そこに干している。風のある日もありクリップで留めているが、よく見ないで留めていたのか雑巾が要るとなって見たら一枚足りない。まさか雑巾取られることはないだろうと思って下を見ると落ちていた。そこで発見したのが今年初めて見た我が家のドクダミの花だった。雑巾取りに出るついでに病みつつ頑張ってくれているデジカメを連れて行き、一枚写真を撮った。
 
 わんさかとドクダミの葉が茂り、花が次々と咲き出していた。ドクダミの葉は、縁に赤い(正確に言えばエンジ色になるが)色がペンで描いたように差している。葉の裏ももしかしたら赤いのかと思ってそうっと返して見ると、そうではない。表と同じ葉の色だ。形は細長いがハートの形をしている。なんとなく謎めいた感じがある。白く愛らしい花を強い匂いと怪しげな葉で守っているのかなとか思う。しかし、最近はこの愛らしい顔した花こそわからないぞーと思うようになってきた。この頃、遅ればせながら夫と「24」にはまっていてDVDを連ドラのように毎夜楽しんでいる。展開が速く、信じられないような出来事がザックザクで、この影響かもしれない。
 

| | コメント (2)

2009.05.07

スイート・マザーの肖像

05070001
 私の肖像画なるものが一枚ある。と言ってもモデルになって座っていたものではない。幼稚園の時の我が子が母の日の折りに皆で描いた「おかあさんの絵」だ。私はこれを長く古いドアに掛けている。絵を描くことが好きではなかった二十年前の我が子の作であるため貴重(!?)なものである。私は、人が見ると「私に似てないの」と言ってばかりいたが、ある日親戚の人が「あら、似てるよ」と言った。「エッ!」と思った。私は(どんだけー)美しい母さんとは特に思っていなかったが、笑っていない、つまらなーいという感じがするその描かれ方にやや不満があった。私自身は、過剰なくらい母の肖像などは見目麗しい「お母さまー!」風に描いていた。よくある女の子のタイプだ。自分だって可愛い目に描いていた。それが、「あんなに一緒に楽しくしているのにーっ!、クーッ!」となったのだ。ただ笑顔であるだけでもよかったのにー。
 ところが、まあ、二十年も掛けていて毎日見ているといろいろ思うことになる。そう言えば、あの頃の私が陰でこういう表情していたんだよ、と。気がつくと我が子はじっと見つめていたこともあった。まあ、いろいろあるからね。なんだかんだの感傷に始まり、ジレンマに陥って、今では好きな絵になった。

 スイート・マザーとはミニバラに付いていた名札で数日前に記事にした折りに発見。ふむふむ、いいじゃないのー。作者に関係なく(タラーッと嫌な汗かきながら後退りして行くよ)この絵のタイトルを「スイート・マザーの肖像」と決めた。そうなるとまたまた単純によさそうな気になってきた。ちょっと物憂げなお母さま、だね。

 先日、ブログをちょくちょく訪れてくれる幼なじみからメールが届いた。「なんか最近のあなたのブログ見てるとセンチになってて心配よ・・・」。まあ、ごめんねー。でも、元気だよ。お互い、なんとなく嬉しい母の日になりますように。私は、なんとなくで十分と思っているんだ。

| | コメント (2)

2009.05.03

ミニバラ

Minibara_2
 庭に1本、家族が植えたミニバラがある。今年も今、たくさん花が咲いている。肥料をたんといただいているせいか、一般的に言うミニバラよりも大きい輪である。知り合いの家で飼っている犬が豆柴犬だというが栄養がよくて普通の柴犬の大きさくらいあるが、それと似ている。花が一山咲き誇る姿もなかなかよいのだけれど、少しだけ摘んでみた。茎も細くて棘も小さいため簡単に手折ることができた。

 お得意の(!?)スカーフの上に置くと雰囲気が変わる。明るく爽やかな感じはよく演出できるところで、こちらはややメランコリーな感じになる。金属製のミルクピッチャーは、通常のものより大きく5cm四方くらいある。何がメランコリー!?ちょっとだけかな。大連休に家にいて、体調もいま一つ!?そうねえ、そう言えばそれもあるかなー。ああ、違う、違う!メランコリー風にミニバラを、というだけのこと。副題、五月病。

 このミニバラの品種はスイートマザーと言うらしい。名札が付いていた。まあ、母の日も近く素敵。そしてこの花の色味は一色でなく、薄いピンクと濃いピンクの花が同じ1本から混ざって咲く。結んでいた手のひらをゆっくり広げるような愛らしい開き方でもある。スイートマザー・・・。大好きだった母が逝って35年も経つ。未だに寂しくなる母の日。今年ももうそこに。私の五月病の根はこれかもしれないなー。

| | コメント (0)

2009.04.26

シャリンバイ

Syarinbai
 前回の記事に記した低木、シャリンバイ。我が子が園児の頃と同じくらいの背丈だと同じようなこと思った日が数年前にあって、日記に書いていたその場所に行ってみるとシャリンバイがあった。しかも早々と花を咲かせていた。白く愛らしく、梅の花に似ている。葉はこの写真ではわかりにくいのだが、手のひらを広げたような形で車輪のようにも感じられる。

 これまで稀にしか見たことがないシャリンバイなのだが、いずれも街路樹か道路際の植え込みであった。キョウチクトウもそうであるが車道に沿って植えられている植物は大気汚染など公害にも強いとされている植物だ。シャリンバイもたぶんその仲間だと思う。それにしても白くて愛らしく清らかな花だ。この街路樹くらい逞しくなければ。そうして「あら、そうですか」というくらい平気に見えるようにしていなければ。ぼやき、溜め息は美容にも健康にもよくない。多くの煩わしいこともパッパッと平手で振り払い、シャンとして前向いて歌いながら歩いて行こう。
 そうしてシャリンバイから離れようとした時、その葉は小さな手のひらに見えた。大きさ、やはり園児の頃の我が子くらいだ。懐かしいな。そして、私はそこを離れた。写真が出てきて、ずーっと眺めていては日が暮れる。宝箱にしまい込んで、今日を生きよう。シャリンバイ、バイバイ。心の中で手を振った。

| | コメント (0)

2009.04.19

育つ

Sodatuhanamizuki
 我が家のシンボルツリーにしようと決めた記念樹のハナミズキは元気に育っている。と言っても背丈は変わったようでもない。我が子が幼稚園の年少、年中さんの頃あたりの背丈と思われる。毎日手を繋いで送り迎えしていた時に通園路の街路樹の低木とほぼ同じだった。その丈と同じくらいだと思うから。今はケヤキの並木だけでその下に並んでいた低木の方は無い。その低木の名はシャリンバイ。

 ついこの間のように思われる我が子の幼い日。そう、眠たい目をこすりながら夜中に入学グッズを手作りしたり名前書きしたりした。細かい計算捧の1本1本、おはじきの1個1個に学年、クラス、名前と油性ペンで書いたのは昨日のことのように覚えている。
 時は経つ。生命あるものは育つ。その大きな流れの中でその時その時を楽しんではいたけど、こなしていくだけで精一杯のことも多かった。最近、○○育、という言い方が多い。その初めは食育という言葉ではなかったかと思うが、○○力という言葉がそうであったようにダーッと応用言葉が氾濫して一つの文化となって過ぎてゆくのかもしれない。

 それにしても自分はあまり大人になってなくて、なのに老人に限りなく近づいていっている。何が育ったのかな。ありがたい周囲のお蔭で心はちょっと育ったかな。体は普通に育ったな。あっ、大丈夫、大丈夫、育っているさ。はっはっはっ!と、水やりしながら思いの果てに笑ってしまうとハナミズキは苦笑しているよ。「・・・この人の記念樹なんだーー」ってね、たぶん。はいっ!そーだよっ!元気に育て、ハナミズキ!

| | コメント (0)

2009.04.11

キツネノボタン

Kitunenobotan
 相変わらず決めきれないデジカメのこと。「あちこちのサイトを山ほど見て調べて、あーでもない、こーでもない。定額給付金など私のものではない。どれでもいいというものでもない。でもメカに弱い。一応、予算とかもある。故障という商品は下取りしてもらえない。まだ叱咤激励して使えているのだからいいか・・・。」この堂々巡りで、あまり迷わない私がグジグジと悩み続けている。
 しかし陽春となった。汗ばむ陽気である。日傘を差してデジカメを持ち、近くに出た。我が家の近くの線路際にナノハナがまだ咲いているのでそれを目当てで行ったのだったが、遠目には一面のナノハナであっても近寄ったら少し可哀想な状態だった。
 そのまま少し線路の土手下を歩いて行くとキツネノボタンが咲いていた。久しぶりに見た。葉は本当にボタンの葉に似ている。キンポウゲ科のその花はいかにもキンポウゲという感じで、好きだ。名の由来には諸説あるが「キツネがいる場所に育つボタンに似た葉の花」という由来に私は一票入れたい。すーっと風が吹き、この花が大きく揺れて、分身のようにひゅっと飛び出すキツネを見てみたい気がする。
 あまり大きくない花弁だがロウを塗ったようにテリテリとした光沢があり、わかっていても見ると驚く。身を乗り出して拡大して撮影。3倍、4倍だともっとしっかり撮れるかなーと思いながら。キツネのボタンは「そうかーもねー」と笑いながら揺れている感じだった。

| | コメント (0)

2009.04.04

そーかー・・・

Kaidou2
 「そーかー・・・」受話器を置くと私は溜め息とともにつぶやいた。デジカメをバシッと平手打ちしながら撮影してゆく気になれず、メーカーのサービス窓口に電話して相談。細かく状態を話すと、やはり修理が必要であるらしい。しかし、8年使っていたら、もう寿命と思って新しいデジカメ購入に向けて考えられてはと言われた。寿命・・・そーかー・・・。いよいよ言われたかー・・・。それらしい兆候はいくらかあったけど、諦めがつくくらいまで行ってみようと思っていた。
 
 「そーかー・・・」チェンジなんだ。ブログのスタイルだって変えている。「変えてみるか・・!」なんとなくそう思っている。私はデジカメを大切に扱ってきた。落としたこともないし水がチラともかかったこともない。専用のケースに入っているものをクッションのよい袋に入れてからトートバッグに入れていた。修理には1万円とちょっとかかるらしい。それも長くもつとも言えないだろうとは確かにそうであろうと思われる。

 「そーかー・・・」そう言いながら何日も経つ。毎日庭の花を見て回りながら、昨日は花も散りかけているカイドウを撮った。やはり「ごめん!」と言いバシッ!と打って液晶画面を出して。今日は雨である。物憂い雨の日に、またも出るのは「そーかー・・・」
 カイドウの花のアップは良いショットではないが、今見ると「そーだよー、さあ悩め悩め、そして決めろー」と言っているようだ。

| | コメント (0)

2009.03.26

ハナミズキ

Hanamizuki1
Hanamizuki2
 昨年植えたハナミズキの若葉が出た。芽は付いている苗木だったが植えてから見た目がまったく変わらず、死んではいないのだろうが育つのだろうかと心配していた。植えた場所は台風で壊れて開きっ放しの門扉の傍、バックのブロック塀は何十年ものの古さで見栄えが悪い。しかし、ここにこの樹木は育っていく。花の色はピンク。何年経って花が見られるのかまったくわからない。ただ、この樹木を我が家のシンボルツリーとすることだけを勝手に私が決めた。だからハナミズキ、この家とともに長く生き抜いていくのだよ。

 なんのことはない、これはいただきものである。しかも市から。と言っても表彰ものでなく、私が市政だよりなるものを見てネットで申請をした。そしてギフト仕事の繁忙期であったが休みをいただいて市役所に受け取りに行った。出産、結婚、新築など節目のお祝い事に市が希望者にくださる樹木で、3、4種類ある内から私が選んで申し込んだ。色は白は寂しいかなと思いピンクを希望した。これは我が家の場合、銀婚記念にいただいた花木だ。新しく家族を作り、その翌年には子ができて家族が増えた。それから四半世紀、それなりに山あり谷ありであった。しかし概ね幸せな日々を過ごしていることに感謝せずにはいられない。

 人は単純に愚かで弱い。特に私は自己中心的な人物であり、しばしば「つまらん・・・」と嘆く。「私は毎日このハナミズキを見ては最初の頃の気持ちに戻ろう。」幼い若葉、その柔らかさに触れ、私は誓った。その今日、暖かい春の陽ではあったが通る風はひんやりして冷たかった。

| | コメント (2)

2009.03.24

やったね!

Mankainosakura
 WBCは、延長戦に持ち込む好試合だった。ハラハラしたりドキドキしたりで体に悪いーっと思いながら時には離れていて、それでも最後まで観た。日本はめでたくV2を達成。韓国も素晴らしく強いチームだった。結果として勝ててよかった。百年に一度とかの大不況が続いていて、それでなくても事件もありニュースは暗く重いものばかりだ。スポーツくらい明るいものが欲しい。アジアの二国が本場アメリカで野球世界一を競ったことは立派だ。アメリカはつまらなかったかもしれないけどアメリカ発祥で世界に広がっているスポーツを喜んでほしい。アジア諸国はスポーツでも競い親しんでいこう。

 朝早くから開くスーパーに行って買い物していたら「急いで帰って野球観るんだよ」と言っているオバサマが多かった。オジサマたちはそういう人がいても特に自分から言わないのだろう。とにかく日替わり売り出し商品もあって人出は多かった。今、主婦して家にいてよかったと思いながら公園に寄った。私としてはスーパーよりも一人花見が大事だった。よく晴れて、例年よりも早いサクラの姿。ほぼ満開だった。そしてまた変わることない「サウンド オブ ミュージック」状態。空見上げてクルクル、クルクル。この時点ではまだWBCがプレーボールになってもいなかった。ひたすら今年は元気にサクラを見上げることができて嬉しかった。花見は、たぶんそうだ。それで宴をして人と楽しむ。一人は一人で、またよいものだ。何も食べたり飲んだりしなくても。サクラと空と風があれば。

| | コメント (0)

2009.03.23

ファーイトーッ!

Hananira2
 野球観戦は好きだ。WBCが開催されていて日本はV2に向けて快進撃、いよいよ明日が最終決戦となった。前回のWBCの放送はすべて、入院していて病院のベッドの上で観た。しかも術後だった。これ幸いとテレビ三昧だった日々。今年はそうもいかないが、我が家で結構張り付いて観ることができた。心折れそうだったイチロー選手が調子を取り戻したのは多くの人が喜んだことだろう。今日、準決勝でも見せ場でさすがと思える大活躍だった。しかし、私はやはりようやくスタメンで出場できて立派な仕事をした川﨑選手に拍手を送りたい。彼は控えの選手であってもずっとムードメーカーだった。まるで高校生のようにどの試合にも大きな声を出して鼓舞してきた。「行け行け!」の時でも「・・・ダメだ」の時でも、いつでもそうだった。それはとても大切なことだ。
 私が幼稚園児の頃から、野球好きの父は私を球場に連れて行ったりテレビを観たりしていて野球のルールを教えてくれた。私は高校野球が特に好きだった。プロ野球を観ていると「もっと必死に走れーっ!」とか「チェンジしたら走って戻って来いーっ!」とか思ってしまうからだった。でも、今回のWBCを観ていてなんとか食いついていこうという気迫がバシバシ感じられる選手たちのプレーに、応援せずにはいられなかった。十二打席だったか、ヒットが出ずに苦しんでいたイチロー選手がバントヒットで出塁しようとした時、成功しなかったけど思いが溢れていて「ファーイトーッ!」と言った。明日の決勝、勝負は時の運ではあるが、私は「ファーイトーッ!」と言っているだろう。幸い、今は仕事が無く主婦していてよかったー。

 写真は以前梅の花びらでびっしりだった玄関から門扉(先の台風で壊れていて開けっ放しである)までの歩いて何歩かの所。同じく以前に紹介したスプリングスターフラワーが花道を作っている。

| | コメント (0)

2009.03.20

白いサクラ

Sirosakura
 同じ公園にポピュラーなスターであるソメイヨシノではなく白い花のサクラがある。チハラザクラ。ヤマザクラの変種であるが大振りの白い花弁は一重もあり八重もある。それが房咲きのようになっているので、まだ咲き始めではあるが満開になると白くてひらひらした花の塊となって見事。ソメイヨシノの薄桃色(それも、ごく薄い色であるが)とはまた違った美しさを展開する。

 私のデジカメは型が古く、大きくて重みもある。あまり外に持って出なかった。我が家の庭とか家の中がほとんど撮影のステージだった。昨日、庭の花を撮ろうと思ってスイッチを入れたが液晶画面が真っ暗。電源は大丈夫。電池充電も、してからわずか。あれこれ、また大騒動。パンフレット見直してもわからない。メーカー営業所に電話してみると「この電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめに・・・」というメッセージ。試行錯誤の末に頭に来て、「もう、イヤだッ!」でデジカメをバシッと平手打ち。するとパッと画面が正常になった。疲れて、昨日はそのまま。今日、歩いてやって来て、スイッチを入れ、同じに真っ暗・・・。「・・・ごめんっ!」でバシッ!またもや通常営業。そこでなんとか撮ってきた。
 だいたい家電品は長く使っていると寿命近くなるのが感じられるし性能、効率も落ちる。ある時「もうそろそろ替え時かな」と世代交代の言葉を発すると、不思議と甦ってきて頑張ってくれる。本当に話を聞いて最後の踏ん張りを意地でも見せてやるといった風にしか思えないくらい。ただ、それからはそう長くないが、何か気持ち的に(と、経済的にもあるが)行けるところまで一緒に行こうかという気になる。まあ、近い内に調べてメーカーさんにお尋ねしてみようかとは思っている。毎回、バシッ!というのも心痛む。

 そんなことをまったく知らない白いサクラは高い所で風に揺れ、私を見下ろしていた。もしかしたら、また笑われていたのかも。いや、笑顔だったのかもしれない。どっちでもいいか。でも私は笑っていたよ。また会おうね。

| | コメント (0)

2009.03.17

サクラサク

Sakurasaku
 公立高校の合格者発表という日。我が家近くの高校にも早朝から向かう生徒や保護者、教師、塾の関係者、宣伝ビラ配布の人たちやらの姿が今年もまた見られた。

 公園にサクラの木があり、もうパッと咲きそうに大きくふくらんだ蕾ばかりなのだが、ポツンと何輪かが咲き始めていた。カメラ、カメラと、慌てて家へ引き返した。
 暖かい日だったが風は強く、大きく枝々が揺れていた。高い所にある枝だったので私のカメラではズームはこれが限度で残念。 新しい出発の若者たち、元気にがんばれ。


< サクラサク >

 サクラ、サクラ、サクラサク
 暖かな陽射し
 過ぎてゆく風
 ときめき溢れて 開く花びら

 サクラ、サクラ 、微かなる薄紅色

 サクラサク 何故咲くの
 では、何故生きているのと サクラは微笑む


 サクラ、サクラ、
 ひたすらに 自分を生きること

 サクラ、サクラ、
 今日会えた幸せを 忘れないように
 
 サクラサク 命かがやく日々
 
 サクラサク また会えるよ
 サクラの木の下
 また会えるよ
 
 サクラ、サクラ、サクラサク

| | コメント (0)

2009.03.14

「それが、何か・・・?」

Sumire2
 私がちょっと変わっていると自覚させられたのは息子の言葉から。二回あった。一回目はまだ小学校低学年の頃。「お母さん、友だちに言われたよー。お前のお母さん変わってるな。向こうの柱でツメ研いでいたぞって。」・・・確かにそれはあった。思い出し笑いして柱を引っかいていた。「ハハハハハッ!」って。見られていたのだ。ブツブツ言いながら幼い息子は去った。まずい、そうか。以後、慎んだ。二回目、息子は高校生になっていた。何か覚えていないが(ミュージカルか何かの話だったと思う)私がペラペラペーラペラとしゃべりまくっていて、夫がそれについて何か言ったのだが、それを制するように息子の一言が。「ダメだ、お父さん。もうお母さんは自分の世界に入り込んでいる!」その言葉を聞いた瞬間に私は我にに返った。そしてスーッと覚めた。はあ、そうか、そうなんだ・・・。私、お調子乗りなので・・・。でも性分だ思う。その後も何度となく同じことを繰り返している。家族は諦めていて嵐が去るまでじっとして、たぶん聞いていない。すみませーん。でも、ありがとうー。なんてったって、家族よねー。ありがたい、ありがたい!

 昨晩、春にしてはすごい雨降りだった。多くの植物はしなだれている。そーっと見に行ったところ、先日いただいて植えたスミレはバリバリ元気だった。それどころか、この雨で根付きましたという感じさえも。じーっと見ていると、ちらっと顔上げて「ええ、雨、すごかったですよ。それが、何か・・・?」と言いそうな気がする。プレゼントしてくれた彼女からメールが届いた。この丸葉のスミレはビオラ・ソロリアという品種、外来種で繁殖力が強く、半野生化して生きていくとのこと。すごい。そうだ、「変わってるねって・・・それが何か・・・?」賭場の粋なお姉さんみたいなのもいいね。でも私って「なんか、いけなかったかしらー?!」って感じだけど、それの方がやはり私のキャラだな。

| | コメント (0)

2009.03.13

「あなた、変わってるね」

Hananira
 私は長いこと自分が変わっているとは思っていなかったが、ハイティーンの頃から「あなた、変わってるね」と言われ出した。お調子乗りであり自己中心型であることからか、私の存在自体を排除したがる人さえいた。今で言うウザイ存在で目障りであったようだ。今なら「あなた、何様!?」と言いたいが、その時はとにかくリスク回避で過ごしてきた。黙って、取り合わないできたからよかった。際限の無い、いじめられっ子にならなかったし、私のことを「あの人、バカよ。変人よ。」で終わったのだと思う。
 時が過ぎ、乙武洋匡さんが「五体不満足」を出版され話題沸騰。そしてその後の乙武さんの歩みを見ても感心するばかり。ココログでもブログを以前からずっと楽しませていただいている。伸び伸びとした行動力と明るさは足元にも及ばないが見習っていかなくてはと思うばかり。「人と変わっていることは個性」とはハンディある体の方に思うことは気の毒なように感じるが、ご本人がそう言い切っておられることにまず驚いた。自分の悩みとかは、なんとちっぽけなことかと恥ずかしくなる。

 写真は我が家のあちこちに飛び増え続けているスプリング・スターフラワー。これからしばらく楽しませてくれる。和名、ハナニラ。その名の通り葉は韮(ニラ)に似ている。色は白、薄い藤色とあるが、星のような形の花。マンガで描くとキラキラ、ピカピカというマークのよう。自分らしく自信を持って生き生きと生きることが大切だと示してくださっている乙武氏に拍手、拍手。

| | コメント (4)

2009.03.10

我が家に、スミレが、来たーっ!

03100002
 それは思ってもなかったラッキーなこと。我が家にスミレが、根ごとやってきた。しかもたくさん。バス、電車を乗り継いで友人が大切に抱えて運んでくれた。書いてみるものだね、とにかくブログで「クーッ!」となりながらも路傍のスミレを根ごと連れ帰れない私のことを読んだからって。ありがとうね、ナナ・コンブかーたん、さん。写真は、我が家で初めて開いた瞬間。スミレたちは「・・・・・・。」悪い汗タラーッとしているかもしれない。寄り添って固まっている。というか、そうして連れてこられたのだが。
 暗くなる頃に庭に持って出て、「そして一粒スミレ色の涙」と、わずかに覚えているフレーズで昔の歌を歌いながら植えた。水やりしながら、「スミレ色の涙って、何!?昔から耐水性でなくてもマスカラとかあったの?」などつぶやく。CMなんかの下隅に「写真はイメージです」と豆みたいに小さく存在している「イメージ」なんだと思い、納得。

 明日以降、様子を見るのが楽しみ。パンジーはずーっと我が家にあるけど、ついにスミレが来たよ。後日の紹介になるけど、よく見る楕円形が長くなった感じのスミレの葉ではなく、丸い葉。花の色は濃い紫で、これが気に入った。「三愛のスミレ」のようで。三愛の紙袋も、ポイント溜めてもらえるグッズもスミレが描かれていた。それが欲しくて三愛で買い物した時期が昔あった。内藤ルネを思わせるロマンが、しなやかな曲線を持つその紫色のスミレには有ったのだった。

| | コメント (2)

2009.03.09

眠れる日、眠れない日

Ranankyurasu2
 交通事故に遭ってからやがて九年になる。現在も月一回、脳神経外科に通院している。そして終生眠剤無しでは眠れないだろうと言われ、軽いものだが飲み続けている。ところが先月、主治医が「眠れそうな時は飲まないでやってみましょうか。どうしてもだめなようだったら後で飲むように枕元に置いていて。」と仰った。「え?」とも言わずに私は「はいっ!」と告げて帰宅。ルンルンで挑戦。ところが出来不出来が結構あって、五分五分状態。
 寝ないと、と思えば焦りドキドキして左右に寝返りばかりで寝付かない。昨日は「寝ないと・・・」「ナイト・・・騎士」あら素敵。バーバリーの騎士マークのような甲冑姿の騎士がファンタジックに現れ・・・甲を外して・・・。夫か・・・お腹きついでしょうね、その装束・・・。そうそう、何十年も前の夫にして。おっ、ワイルドビューティっぽくて、いいかも。でも照れくさいからリセット。どうせ夢への誘いならばスターを・・・スター・・・金城 武。いいね!あら、甲外して・・・いやだ、私を見てる。わっ、こっち来るよ!リセット、リセット!
 大騒動で結局あまり眠れなかった。いつ寝入ったかわからないが、その内くたびれて眠ったんだろう。でも、眠剤無しで確実に眠ることができる昔に戻れる希望があるということは嬉しいこと。

 写真は、ラナンキュラスの花を上から見下ろして、眠りへの誘いイメージ。そうなったら周囲の土の部分もグラデーションのスカーフでぼかして、「さあー眠りなさいー♪」マドンナのララバイ風に。

| | コメント (2)

2009.03.08

mokoさん

Otometubaki2
 昨日の記事に名前が出たので、よく私のブログを訪ねてくれてコメントをこまめに残していってくれるmokoさんについて。私はずい分長い付き合いなのだが、外でお食事どころかお茶すら一緒に飲んだこともない。近くに住んでいるし時々彼女がやって来て我が家でお茶して行くことばかり。なのに結構話は盛り上がる。いくらか共通することもあるから。昨日はお姉さま手作りのコーヒーゼリーを抱えて愛犬と一緒に来訪。愛犬はいつも帰りたがりソワソワ。途中で眠り出し、船漕いでいることも多い。「帰ろうか」という彼女の声には愛犬、お祭り騒ぎ状態。ハッ、ハッ、ハッ!!!

 mokoさんは同じ年なのだが、何十年も変わらない極めてスレンダーな体型の美人。「もっとお肉付けないと風吹く度に重石が要るよっ!」と妬みまくっているのは私だけじゃないと思う。彼女は明るいのだがおっちょこちょい気味。そうかと思うときちんとしたOL職を続けていて、極めて現実的でしっかり者。この「不思議な人」の感じが共通項かもしれないと時々感じている。
 ちなみにmokoさんは、名前がトモコでもモモコでもなく、もちろん体がモコモコでもない。聞けばいいのに聞いたことがないからわからないが、名前からの通称ではない。私は名前で呼んでいる。mokoって何処から?まっ、いいか。とてもいい人、mokoさんは不思議な人。不思議関係で仲良し。

 写真はmokoさんとは関係ないが、今年もオトメツバキが咲いた。ブログ扉に掲げているのは4、5年前のものだが、今年はバッチリ、カメラ目線。

| | コメント (2)

2009.03.07

ふんわり しょ・こ・ら

 03070001
 友人から東京土産をいただいた。「東京 ふんわり しょ・こ・ら」という洋菓子。「東京バナナ・・・」のように空港手土産用に新しいショップの製品だろうと思って裏側を見ると新宿中村屋とあって、驚いた。そうだね、月餅やらあんまん、肉まんだけでもなく、どんどん時代に合わせて進化し続けているんだなと思った。こういう分野では自分があまり時代に乗っていっていないので、よく周囲から呆れられることがある。
 この箱は後々使えると直感した。これまでの菓子箱にこの形態は無かったのではないか。書類などを入れる事務用袋の閉じに使われているコイン大きさの留め具から平紐が出ていて、箱に巻いてから留め具にクルクルッとして終了。
 ネーミングが、やんわりとしていて「・・・なんか、素敵っぽい。」すべて平仮名というのがまたいい。私はお年頃で、「よいしょこら」なんだけど「しょ・こ・ら」がふんわり、とは加齢に反して華麗に変身できそう。ふわっと立ち上がるのが妖精のようになるのよね、などと勝手な思い込みで突然このお菓子が秘密のお菓子に思われる。思い込んだ者勝ちの世界よ、このお年頃は。

 このお菓子は、持ってふんわりではなかった。一口食べて感じたのは「ふんわりとろけ感」。味は甘~いという感じが無く、いけた。わかってはいる。これ食べてフェアリーみたいになれないとは。でもそういう気分にはなれそう。夫とコーヒー入れてパクパク。今日、mokoさんが来るからその時に出して、と思っていたら逆さまにコーヒーゼリーをいただいて、お持たせ呼ばれした。

 このお菓子をお土産にくれた人は、このブログとリンクしているアーティストで画廊オーナーさん。高校同級生で、今回集まった皆にこのお土産を渡していた。この彼女が「ふんわり しょ・こ・ら」っぽい。どうぞ彼女のブログ(リンク先)をよかったらお訪ねくださいますよう。

 さー、立とうかな、「よいしょ・こ・ら・・・」改め「しょ・こ・ら」!

| | コメント (2)

2009.03.01

スミレ

 Sumire
 なんという陽気だろう。三月になったからって、これはないよ。卒業式の彼女たちはお化粧しているが、ちょっと泣きながらも実に明るく爽やか。傍を行く母上様方のケバいこと。突然日傘持つ手が汗ばむ。それでも、それぞれの別れと旅立ち、希望の時期。おめでとう、GOOD LUCK! あー、でも陽射しが強い。私は春があまり好きではないのだ。森羅万象、燃え立つのは勢いあってよろしい。しかし、頭がボーッとする。しかも今日の長々と見せつけられた光景は暑苦しかった。清楚な乙女は何処にいる!?

 私が時々歩く道の途中に、毎年のことであるが今年もまたスミレが咲いている。車道に面しているアスファルトのひび割れの中から10cmも無い丈のスミレが咲く。私は大体、見て見ぬふりしてやり過ごしてきた。ドキドキするのだ。コーネンキかとも思っていたのだが、どうも心の葛藤のようだ。スミレの種類は不明、宝塚歌劇団が歌うようなイメージのスミレではない路傍に咲くスミレ。スミレというものはこぼれ種でその場所に咲き続けるのかもしれない。私が毎年見てドキドキするのは、連れて帰りたい衝動と戦っていたのだ。昔、お茶やお花の先生方の団体で野草観察会が定期的に行われていて参加していた。その時、信じられない行動をする大先生方をしばしば目にした。何種類も根こそぎ持って帰っておられた。毎回である。あの場面が忘れられず、理性というよりは同類にならないぞーという必死な思いでスミレをろくに見つめなかったように思う。

 初めてかな、じっと見つめた。そして決心して持って出たカメラに収めた。素朴な花である。私は人目も構わず這うような格好でスミレを撮った。わずかな風にちらちらと花は揺れた。揺れたように感じられた。何か語りかけてきたようだった。
 

| | コメント (0)

2009.02.24

ピンクのカーペット

02240002
 映画、アカデミー賞の発表は日本のものであれアメリカのものであっても関心があった。テレビのライブで放送された日本アカデミー賞授賞式は特に目を凝らして見入った。レッドカーペットを歩む選ばれたスター、スタッフ方は誇らしく、さらなる希望に燃えていた。そんな昨日今日だった。
 ただ雨が止んだので玄関から外に出て掃き掃除をしようとした。しかし、玄関から郵便受けの場所に至る小路はうっすらとピンクのカーペットになっていた。真上には紅梅があり、まだはらはらと花びらが舞い落ちてきている。今日はもう掃き掃除はしまいと決心した。先日春一番が吹き荒れた時にずい分散ったものだった。どこからかゴミまで吹き飛んできていたし、その時はガンガン掃いた。今日玄関の扉を開けて、静かに散り行く姿、そして積もったピンクの花びらたちを見てハッとした。たまたま先に書いたようにレッドカーペットを観ていたからかもしれない。それでも、偶然見た光景に一瞬「とどめておきたい」と感じたことが大事だった。明日は掃くけれど。

 そんな折り、友人から花展の案内。ご無沙汰している花展というものではあるが、友人が生けるならばぜひ行ってみようかと思う。

| | コメント (0)

2009.02.18

蘭蘭、蘭!

Sinbijiumu
 先のクラス会の夜にテレビ番組でパンダが特集されているものがあった。なんと家族が録画していてくれた。その後バレンタインギフトも入り遅れたが、その録画を昨日観た。

 私は一般的に可愛いと言われるものに対して特に気は無いのだが、パンダは別である。もうメロメロになる。あんなに愛らしい生き物がこの世にあろうとはなんて素晴らしい世界。WWF、世界自然保護基金がそのマークにパンダを採用するはずだ。絶対に守らなくては、と思うから。
 1972年、日中国交正常記念で中国から日本に贈られたパンダ二頭。カンカンとランラン。この時初めてニュースなどで動くパンダを見て、その愛らしさに度胆を抜かれた。とうとうカンカン、ランランを含めて直接見たことはないパンダなのだが、いつかはぜひ、と思う。私が上野に行く時はたいてい美術館行きであり、並ぶことばかりで時間がかかった。長い間、いつかついでにと思っていたらもう上野にパンダはいなくなってしまった。オリンピックを東京に、よりパンダを上野に、と強く思う。和歌山などのパンダも見聞きしてはいるが、私は東京へはよく行くからだ。そう、勝手な願いなのであるが。
 カンカンとランランに子はできなかった。しかし、ランラン死亡時の解剖で胎児が認められたと報道され日本中の涙を誘った。カンカン(康康)とランラン(蘭蘭)のことは忘れられない出来事だ。
パンダが好きだが置物、ぬいぐるみなど何も無い。写真は、昨日家族が買ってきた花で、直接パンダとは関係はない。ただこじつけるならばランラン(蘭蘭)の蘭であるということだろう。種類はシンビジウムであるが、白くてぷっくりとしたおおらかな明るさは通じるものがある。

| | コメント (1)

2009.02.10

バレンタインチョコ

Chocolate_gift
 夫にプレゼントするバレンタインチョコは、通年販売しているお酒が入ったチョコ。それが2箱。14日でなくて、もう今日の内に渡しておく。とてもシンプルな包装である。手元にあった包装紙で私が包装してリボンをかけた。キャラメル包みでなく本包み(完全包装)している。

 ここ5年、私は夏と冬にギフトのアルバイトに行っている。年間の四分の一はギフト仕事になる。のし書きと包装の仕事で、簡単でも試験があった。学生時代から接客の仕事をアルバイトでやっていたし包装もかなりこなしていた。年齢関係なく呼んでくださること嬉しく、いつまで行くのかしらと思いながらも毎回張り切って行っている。そしてその内にバレンタインデーチョコの包装係となって単発で一週間ばかり呼ばれるようになった。今年も明日から出かける。で、夫には先渡し。明日からは人のチョコをせっせと包装している。好きにしていいように言われているので造花やリボンなど資材もいろいろ使って楽しんでいる。夏、冬ギフトと一緒で、お金を扱わなくてよいのは助かる。接客はする。たくさん頼んでいて別の日に受け取りに来る方もあり、小さな子供がお父さんにあげるという100円の板チョコ(義理でなく懸命なプレゼント)もある。向き向きに合わせて包装紙を選んでトッピングというかリボンとかシール、その他でデコレーションしている。

 簡易包装が叫ばれている昨今、確かに時代には合わないと思う。でもラッピングには夢がある。開いた後にゴミにするかどうかは人それぞれである。私は自分で使いそうな資材は取り置きしていて、リサイクルできる紙類は資源ゴミに出す。確かにリサイクルできない、ただゴミの要素である添え物もある。それでもちょっとくらいの夢は社会にごめん!と言って私は楽しみたい。

| | コメント (0)

2009.02.08

紅茶飲む午後

Siraume
Koutya
 その紅茶、イングリッシュブレックファスト№14を入れて日曜日の午後、ひとり窓辺でお菓子もなくただ一杯の紅茶をゆっくりと飲んだ。数日の陽気の良さで白梅も勢いよく咲いた。窓の外の梅を眺めながら(アネモネやセキチクなどは遠い所になる)静かな時の流れを楽しんだ。(梅、ウメーッ!紅茶!)夫は同じ部屋の少し離れた場所で日曜日であろうと仕事に追われていた。仕事が忙しいこともあるが夫は私がボーッとしている時間を決して邪魔しない。私は「仕事中に悪いけどね」と前置きしつつ長々とどうでもいいことを話したりするけど、夫は大人だ。私が特に「ボーッとしている時間」を大切にしているということも知っているからとは思うが配慮は感心、感謝に尽きる。

 本当は美しいことを思い出したり考えたりしたいけど、明日以降の段取りやら手順やらばかりがよぎってしまう。それに美しい格好でもなく、「ウメーッ!」と思うのではいけない。美しいものを着てきれいにお化粧もしてて、梅でもいいけど眺めてはアンニュイな溜め息をふっと一つ。一口紅茶を含んで「・・・美味しい。」だわねーと頭の中の私は突然ハリウッド映画の女優みたいになる。
 そんな戯れの時は過ぎ、私は目が覚めた。起きて気付いた。いつの間にか眠っていたことに。コーヒーや紅茶、お茶、まったく関係ない。私はよくコーヒー飲んで眠くなって寝るし、飲みながらでもパタッと寝てしまうことがある。紅茶はコーヒーよりもカフェインが多いと聞いたことがあるが全く関係ない。温室のような温かさに紅茶飲んだリラックス感でスーッと眠りに入って行ったようだ。夢も見ていなかった。1時間もなかったと思う。それからはまた現実。「布団、とりこまなきゃ!」ダッと起きてカップを持って場を去った。あー、楽しかったー。
 

| | コメント (0)

2009.02.06

ハロッズの紅茶

 Harrods2Harrods1Harrods3


 コーヒーも紅茶も好きだが通ではない。銘柄に好みはあるが、飲んでみての相性が大きい。生まれて育った家庭がそうであった。また、実母の親戚もそうであり、「お茶の時間」を楽しんでいる。法事で親戚の家にいても、「お茶にしようか」となったら話が早い。パッと皆で動く。車でケーキ屋さんに買いに行くこともある。コーヒーも紅茶も入れる。楽しく大騒ぎする。最近、コーヒーは多いが紅茶専門の喫茶店が少なくなって淋しい。買うことはできる専門店はわりとあるのだが、喫茶の方でゆっくりとした時間を友人と話して過ごしたいのに。まあ、そう粘られても・・・かな。

 ハロッズの紅茶ではイングリッシュブレックファスト№14というのが好みだ。以前、人にいただいて感激した。その茶葉が入っていた箱をまだ保管している。正面にはハロッズ・ベアが可愛い顔して座っている。それよりも、側面に描かれているお調子乗りベア。これを飲むとこういう気分になるんだよということでもないだろうけど、楽しい。実は、そういう気分に私はなるのだ。

 当地のデパ地下ハロッズショップには進物を買いによく行った。紅茶も、ビニール・トートバッグも、ハロッズ・ベアも人によくプレゼントした。ところが最近訪ねて行くと無い。店員さんに聞くと「ハロッズは最近、撤退しました」という。「撤退!?軍隊!?デパ地下って戦地だろうけど・・・」と思った。そして次の瞬間がくっとした。残念。すると、その話をしてもいないのに数日後にハロッズの紅茶をいただいた。ティー・バッグではあるが、イングリッシュ・ブレックファスト№14だ!なんという嬉しい偶然。ハロッズの建物が描かれている。建物は見る価値あるものだった。

 ハロッズのロゴもカッコイイが、モスグリーンの色が基盤なのが素敵。私は以前にいただいた時に付いていたリボンは加工して愛用している。少々アートフラワーをしたことがあるので布花をよく作る。ややルーズな感じに作った花に添わせてハロッズのリボンを貼り付けた。このブローチはコートに付けてずい分使ってよれてしまったが気に入っている。

| | コメント (0)

2009.02.04

万年筆

Mannenhitu1
Mannenhitu2
Mannenhitu3
 私は書くことが好きだ。そして描くことも好きだ。それでも現実ではたいていの場合、恥をかくか冷や汗かくか、孫の手でもって背中をかくことの方が多い。書くことも描くことも好きなだけで上手ではない。ただ小さい頃から好きだった。
 今、私が使っている万年筆は赤色のノック式で、2cmばかりあるプッシュ部を押すとわずかにペン先が顔を出す。ポケットなどに挿し込んで留めるフック部を人差し指と親指とで挟んで持って書く状態であるため最初は違和感が続いた。長く使っている内に慣れてきて今ではなんとも感じない。

 私が初めて万年筆を持ったのは中学生になった時だった。姉が使っているのを見て憧れていた。親からもらった丸ペンやお粗末な自作の竹ペンなどをインク瓶に浸けて遊んでいたが、漫画を見ては羽根ペンが欲しいとも思ったりしていた。そして万年筆は大人の香りがするドキドキものの商品だった。ところが、いざ持って使っていると文房具、筆記具であって大人がどうのというものではなかった。子供ではない今でもステイタスだとは思わない。自分との相性がいいか悪いかだけである。

 この万年筆購入の決め手は好みの可愛い赤の色味であることと、プッシュ式ということだった。私はキャップを本体に挿して書くとうまく書けないように感じていたので、いつも必ず本体から外していた。そこ、である。実によく失くした。わずかなスペースなのに何故かわからないが、キャップが行方不明になる。無い!無い!で大騒動は数えきれなかった。そこで、そういう形態の万年筆を恐る恐る様子見に行った時に、即、購入した。実はそれまで使っていた万年筆のペン先が割れてしまい修復不可能状態になっていたため、新しい万年筆が必要になっていたのだ。「・・・まっ、いいか」でやってきた万年筆であり、先に書いたように持つ手に違和感はあったが、慣れていくにつれ見事に私にヒットした。

 立春、大吉。春のような陽気な日。メールもいいけど、だれかに手紙書いてみようかなとふと思う。便箋、封筒を探そう。

| | コメント (0)

«花のある生活を・・・「梅の咲く」クラスメイトへ