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2009.05.29

アジサイが咲いて

Ajisaigasaite
 薫風、突風、強風注意報と風がバンバン吹いているこの頃。庭のアジサイが次々と咲いている。30年以上前にアリスがバンドとしてブレイクする少し前に「紫陽花(アジサイ)」という歌を出した。堀内 孝雄作曲で彼が歌っていた。しかし演歌のようでなく、まあ歌謡曲と言えばそうだが妙に情感が溢れていた。母を亡くしてまもない頃だったし、最後のあたりの「けれど、私はひとりきり」というフレーズに目頭押さえていた。陶酔してたわけだが、当時は「愛のふるさとは何処にある・・」との出だしにもフガーッと涙していた。まあセンチなことはあるさ、でもこうして今になると水やりしながら陽気にアレンジして鼻歌だ。「けれど私は・・・」の決めの部分では宝塚風にオーバーアクションになって水やりのホース振り回し、水止めてはいたけどアタッチメント部分をマイクにやや熱唱。建築中の隣家にいた職人さんに見られた。スコスコと家に逃げ入った。

 100年に一度という不況の世界は100年に一度のチャンスがあるかもしれない。がんばろう。どうしたらいいかわからないけど、がんばろう、世界の人々。日本の人々。特に、我が家。私。13年前の阪神淡路大震災の後、プロ野球チームのオリックスがヘルメットの横とユニフォームの袖部分に「がんばろう神戸」というスローガンを付けていた。それを見てハッとした。「がんばれ」でなく「がんばろう」という言葉の強く温かい力をバリバリ感じたからだ。一緒に、やってやろうじゃないかという意気込みが嬉しい。笑って、力まずにがんばろう。何を!?生きることと、その枝葉になること。エダハ?そう、諸々。小さな花の集合(実際は花ではなくガクの変形であるが)がアジサイのように大きな一つの花になっていくかも。調子付いて歌ってはいるが、私は決してひとりきりではない。

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2009.05.22

薫風

Kunpuu
 気温は高いが風が爽やかに吹き抜けるこの頃。八十八夜が過ぎ、初夏の様相しきり。三十年前のことだ。やはり今時分。私は生け花の教授者になるための試験を受けた。三日間、朝から夜まで花を生けることと指導することの実技にどっぷり浸かった。最終日、その最後には大作の自由作品が言うなら最終試験であった。テーマ「薫風」で、花材だけ指定され、花器はどれを何個組み合わせようが自由、会議用テーブル1本大きさに収まるようにというだけの条件だ。大きさ的には中作であるが、インターン生には大作だった。全国から集まった同期生十数名、どうしよう、どうすると言い合ったが、やがてそれぞれ動いた。私も自分の「薫風」に取り組んだ。毎年この時期になるとこの時のことが甦ってくる。そして、あんなにプレッシャーがあってもそれ以上にパワーもあった自分を思い出す。ひたむきな思いが昨日のことのように思われる。

 薄茶の茶碗に小さな花生けをした。庭のカエデを少し手折り、添える花を探すが、どれもほとんど終わり際で困った。かろうじてなんとかしっかりしている残り花をわずかに摘み、添えた。ポンポン菊とナデシコ。ゆらゆらと枝先が揺れるカエデのイメージが何か今ひとつ表現できない感はあるが、即席での今日の薫風の最小表現。

 友人から絵画展のお誘いメールが届いた。心地よい風の中、美術館へ向かう十日後が待ち遠しい。

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2009.05.15

ドクダミの花

Dokudaminohana
 ドクダミの花がまた咲く季節となった。私はドクダミの花が咲くと毎年一枝とかを小さく生けているけど、今年は眺めて暮らそうと思う。知らないといかにも毒ありそうな匂いが、今では流行の体内の解毒(デトックス)作用があるとなると人は突然「そんな感じがする」と言う気がする。
 花が咲かない内は、根茎でダーッと増え広がる葉をことごとく引き抜いてしまいたいと私は思ってしまう。ところが花が咲くと決してそうは思わない。白く清らかで愛らしい花だ。
 洗面所の外側、外壁にフキン干しを取り付けていて雑巾掛けにしている。使って洗い、そこに干している。風のある日もありクリップで留めているが、よく見ないで留めていたのか雑巾が要るとなって見たら一枚足りない。まさか雑巾取られることはないだろうと思って下を見ると落ちていた。そこで発見したのが今年初めて見た我が家のドクダミの花だった。雑巾取りに出るついでに病みつつ頑張ってくれているデジカメを連れて行き、一枚写真を撮った。
 
 わんさかとドクダミの葉が茂り、花が次々と咲き出していた。ドクダミの葉は、縁に赤い(正確に言えばエンジ色になるが)色がペンで描いたように差している。葉の裏ももしかしたら赤いのかと思ってそうっと返して見ると、そうではない。表と同じ葉の色だ。形は細長いがハートの形をしている。なんとなく謎めいた感じがある。白く愛らしい花を強い匂いと怪しげな葉で守っているのかなとか思う。しかし、最近はこの愛らしい顔した花こそわからないぞーと思うようになってきた。この頃、遅ればせながら夫と「24」にはまっていてDVDを連ドラのように毎夜楽しんでいる。展開が速く、信じられないような出来事がザックザクで、この影響かもしれない。
 

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2009.05.07

スイート・マザーの肖像

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 私の肖像画なるものが一枚ある。と言ってもモデルになって座っていたものではない。幼稚園の時の我が子が母の日の折りに皆で描いた「おかあさんの絵」だ。私はこれを長く古いドアに掛けている。絵を描くことが好きではなかった二十年前の我が子の作であるため貴重(!?)なものである。私は、人が見ると「私に似てないの」と言ってばかりいたが、ある日親戚の人が「あら、似てるよ」と言った。「エッ!」と思った。私は(どんだけー)美しい母さんとは特に思っていなかったが、笑っていない、つまらなーいという感じがするその描かれ方にやや不満があった。私自身は、過剰なくらい母の肖像などは見目麗しい「お母さまー!」風に描いていた。よくある女の子のタイプだ。自分だって可愛い目に描いていた。それが、「あんなに一緒に楽しくしているのにーっ!、クーッ!」となったのだ。ただ笑顔であるだけでもよかったのにー。
 ところが、まあ、二十年も掛けていて毎日見ているといろいろ思うことになる。そう言えば、あの頃の私が陰でこういう表情していたんだよ、と。気がつくと我が子はじっと見つめていたこともあった。まあ、いろいろあるからね。なんだかんだの感傷に始まり、ジレンマに陥って、今では好きな絵になった。

 スイート・マザーとはミニバラに付いていた名札で数日前に記事にした折りに発見。ふむふむ、いいじゃないのー。作者に関係なく(タラーッと嫌な汗かきながら後退りして行くよ)この絵のタイトルを「スイート・マザーの肖像」と決めた。そうなるとまたまた単純によさそうな気になってきた。ちょっと物憂げなお母さま、だね。

 先日、ブログをちょくちょく訪れてくれる幼なじみからメールが届いた。「なんか最近のあなたのブログ見てるとセンチになってて心配よ・・・」。まあ、ごめんねー。でも、元気だよ。お互い、なんとなく嬉しい母の日になりますように。私は、なんとなくで十分と思っているんだ。

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2009.05.03

ミニバラ

Minibara_2
 庭に1本、家族が植えたミニバラがある。今年も今、たくさん花が咲いている。肥料をたんといただいているせいか、一般的に言うミニバラよりも大きい輪である。知り合いの家で飼っている犬が豆柴犬だというが栄養がよくて普通の柴犬の大きさくらいあるが、それと似ている。花が一山咲き誇る姿もなかなかよいのだけれど、少しだけ摘んでみた。茎も細くて棘も小さいため簡単に手折ることができた。

 お得意の(!?)スカーフの上に置くと雰囲気が変わる。明るく爽やかな感じはよく演出できるところで、こちらはややメランコリーな感じになる。金属製のミルクピッチャーは、通常のものより大きく5cm四方くらいある。何がメランコリー!?ちょっとだけかな。大連休に家にいて、体調もいま一つ!?そうねえ、そう言えばそれもあるかなー。ああ、違う、違う!メランコリー風にミニバラを、というだけのこと。副題、五月病。

 このミニバラの品種はスイートマザーと言うらしい。名札が付いていた。まあ、母の日も近く素敵。そしてこの花の色味は一色でなく、薄いピンクと濃いピンクの花が同じ1本から混ざって咲く。結んでいた手のひらをゆっくり広げるような愛らしい開き方でもある。スイートマザー・・・。大好きだった母が逝って35年も経つ。未だに寂しくなる母の日。今年ももうそこに。私の五月病の根はこれかもしれないなー。

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