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2005.10.28

香り漂う

 
 今、庭ではキンモクセイが黄金色の小花をびっしりと付けて香ります。私は花の香りは実は苦手です。かすかに香りが・・・というくらいはよいのですが凝集して、あるいは強い香りというものに生理的にダメなのです。頭痛がします。花に限らず言えることです。黙っているけど我が家のクチナシやキンモクセイに私は避け気味なのです。ユリなども同じで「うっ・・・!」という感じになります。本当に、ごめんなさいね。花はすべて好きですが、そしてその香りもきっと個性なのですが、残念ながら苦手です。

 なのに生け花は「香り漂うような花」を生けたいと思い、生け続けてきました。何が香り漂うのかというと、その花、その植物の存在感、個性であり、その生命の輝きにほかなりません。その中に自分らしさが感じられたら嬉しいところです。それがなかなか大変。生涯かかって研鑽で終わりそうですがめげずにチャレンジし続けます。バンと強調したりして押し出さなくても、あるいは抑えていても、滲み出てくる「香り立つ」というイメージを求め続けます。自分自身も、よくよく近寄ればかすかによい香りがあるような、そんな人間になれたらいいなあと思います。人に嫌われたくないけれども、それ以前に自分に嫌われないように、と。何十年も前に読んだ本「ベストフレンド」。自分自身がベストフレンドなのよ、という内容は衝撃でした。自己嫌悪に陥りやすかった長いトンネルから抜け出た目からウロコものでした。そしてさらに出会ったベストフレンドは植物でした。花は友だち。心にも部屋にも同居して、お互いに「香り漂う」同士でありたいものです。

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2005.10.21

ホトトギス

 勝手口から出ると今、ホトトギスが咲いています。鳥のホトトギスにある斑点が似ていることから名付けられたようですが真っ白で斑点が無いものもあります。生け花していた時花屋さんから花材として届くのは赤紫色に同系色の斑点があるホトトギスばかりだったので、見た目にはあまり好みの花ではないなと思っていました。我が家に地植えしたのは私がカタログ購入したもので白っぽく、縁から青紫色がぼかしになっていて斑点は赤紫っぽい色です。ホトトギスは宿根草なので毎年咲いてくれます。いかにも半日陰にそっと咲くといった感じの花です。地味と言えばそれまでですが控えめな静かな花です。

 「野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き」と、大好きな青春時代の歌を軽く歌いながら勝手口を開けて秋にいつもハッとするのはこのホトトギスの存在です。花丈は低いのですが花は上向きに咲きます。そうそう沢山でないからかもしれませんが我が家にある花で切り花にしたことがないのはこの花だけです。ご仏壇にでもと迷っている内に時期を逃してしまい、いつもハラハラと散り去ってしまいます。来年は一輪、家のどこかに生けて同居してみたいと思います。玄関でなく家の中でもなく勝手口で「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と微笑んでくれる秋の友だちは今年もまた静かに去りつつあります。

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2005.10.09

花野

 リフレッシュ休暇で元気をもらって帰り、また通常の生活になりました。ボーッとして過ごす時間があることの贅沢を、一人列車に乗って感じていました。本当は何とか暇無し・・・というものだけど、でも心の風景に風通しが悪くなってしまうのは残念なこと。

 小さな駅周辺に咲き乱れる色とりどりのコスモス、少し先の黄金色の稲穂のカーペット、その先、遠くに群れて揺れる背の高いススキ、紅葉は無いけれど微妙に色合いの変化を見せる木々と遠くの山、その先の山。奥行かし・・・と感じ、心の中に花野が浮かびました。

 秋草はやさしく美しいけれど単体ではさびしい。なのに二種、三種、とどれだけ取り合わせても煩わしくなくまとまります。互いが互いを引き立てあい共存できます。その効果は三種で三倍、五種で五倍という以上のもので、見事な一つの世界を創出します。なのにこれでもか、といううるさい感じがなくさらっとしていて心地よい。

 知らなければ百花繚乱のお花畑の春を連想する人もいる「花野」は秋の季語。落ち着いた深い豊かさに理想郷を求めた昔の人がいたはずです。目にしなかった花々、シュウメイギク、ノギク、ワレモコウ、オミナエシそしてコスモスやススキ等を心の中の大きな竹篭に生けてとても幸せな気分になりました。花の一つ一つがすべて個性的で、すべて気心知れた友人と重なります。友人たちと花野のように集まってみたくなりました。

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2005.10.05

神無月に囲まれて

 いつの間にか十月になり街路樹も色や姿を変えています。神無月(かむなづき、かんなづき)は八百万(やおよろず)の神様方が出雲大社に集結するのでご不在と言われ、出雲(島根県)では神有(在)月、かみありづきと言うそうです。どういう話題なのかぜひ知りたいところですが、他のお社は留守宅では何かと不都合もあるでしょうねえなどと要らぬ心配までも相変わらずしています。

 山上憶良が万葉集に詠んだ歌「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 女郎花(オミナエシ)また藤袴 あさがほの花」という、秋の七草は語呂よく覚えられ、またそれらの花々が瞬時に脳裏に浮かびます。渡り行く透明でさらっとして冷ややかな風までが感じられます。

 旅心に駆られ、電車の切符を買いました。友人が住む他県へ行ってみようと思います。車で行くことばかりでした。移ろう季節を眺めながら一人列車に乗り行く小さな旅は疲れた心身にはプチ贅沢かもしれません。傷心ではないけれど、一人旅ではっきりした「用」で出るのではない心地よさが快感です。よいこともよくないことも、自分も世界も混沌としていて何か疲れています。とても短い一泊二日の往復ですがリフレッシュ休暇です。

 井上陽水が歌っていた「神無月に囲まれて」は若かった日々にボーッとしてよく聴いたものだけど、私の中には今、それがずっとリプレイしています。明日と明後日、電車に乗っている時はガンガンだと感じてもいます。冴え冴えとした秋の名月のような彼の声はオペラ座の怪人、ファントムではないけれど「エンジェル オブ ミュージック」です。心はすでに秋の野に。心に花を生けるため、そんな気もするエキサイティングな前夜です。
 

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