2012.05.21

小さなドクダミの花たち

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 昼咲月見草がそろそろ勢いが弱くなったと思ったら、我が家の周囲には驚くほどのドクダミが咲き誇っている。雨の度にこちらも増え続けたようだ。根茎が芋づる式に伸びて増え続けるのでそれはそれはすごい。しかし、だからこそ抜くとなったら芋づる式にダダダダーッと連なって抜ける。しかし何とも体力が年々衰退の一途であり、根気よくできない。今日こそ大量にと意気込んで庭に出たところ、その手前に、なんとも愛らしい小さなドクダミの花々を見つけた。私はそれを根ごと摘み、家の中へと入った。そして生けた。
 さつま揚げが入ってギフトでやってきた小さな蓋もの籠を器にして、中にオトシを入れた。オトシには適当なものがなく、日ごろ冷奴の器で使っているガラス小鉢をオトシにして剣山を置いた。ドクダミはそれこそ刺すのでなく針の間に挿すだけで留まった。

 蓋はオトシの横姿を隠すように自然な感じで掛けている。台所のテーブルの上で生けて斜め上からの視線で撮った。それから今はほぼ目の高さにも近い本棚の中棚に置いている。幼い花々であるからか、葉もそうであるからか、ドクダミ独特の強い匂いが漂わない。梅雨も近いよといった風なドクダミの花だが、大きいものでも花の直径は2cm強。ハートの形をした葉も愛らしい。蕾を一番前に出して、流れるように生けた。

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2012.05.10

白いアマリリスが

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 白いアマリリスが咲いた。ずい分もう片方より遅くなったがオランダのアマリリスが咲いた。まるで白百合のような清らかな白い花だ。なぜか葉が出てこなかった。背の高い、先に咲いたアマリリスは四方の花が弱ってからてっぺんにあった蕾が開いたがこれは極めて白に近い花色だった。赤という方なのだが、白に赤がグラデーションで入っている絞りの色合いだった。いただいてみないと出会うこともないアマリリスの品種だ。ひょっとしてお嬢様かもしれないが、良く言って大変カジュアルな、あれこれ混在している収拾がつかない我が家の庭に移り住めるだろうか。でも、行っていただきますからね。大丈夫、大丈夫。外は虫さんもいっぱいいるけど風が通る素敵なところ。陽を浴びて、土に根を張って、来年はまた美しい姿を見せてほしい。ユリに似ているから「アマリリスのユリちゃん」と呼ぶよ。強烈なオレンジ色のあのアマリリスは「アマリリスさん」、これでアマリリスさんは納得してくれると思う。
 

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2012.05.05

昼咲月見草に

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 屋根上に 菖蒲放れば 風が行く

 今年もまた菖蒲の葉の一株を表と裏の屋根の上に放り投げて、子どもの日は過ぎた。吹く風は五月の薫風だ。きれいに晴れ渡り汗ばむ陽気となったのはいつものゴールデンウィークと同じだ。変わらない仕事、変わらない日々というものも実にありがたい。元気でいればこその日常。

 庭には昼咲月見草がワッと咲いた。毎日元気に咲き続けている。集団で陽を仰ぎ、風が吹いても実ににこやかに集団でゆらゆらと揺れている。四方八方、上からと、私は感心して眺めている。洗濯物を干しに行く時と取り込んでからなので両腕に沢山の洗濯物がある状況で、私は下手な探偵のようにして低く高くなりながら見ている。たぶんそのオバサンの様子はたまらなく滑稽なものに違いない。
 集団で笑っているように見える昼咲月見草は子どもや小さな動物たちのように、ただ楽しいのだ。おひさまに今日も会えたこと、皆と今日も一緒にいることなど。そう思える。そう思うととても嬉しく、一瞬私はこの花になってこの集団の中に混じっていたい気になる。

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2012.04.28

アマリリス、咲き続ける

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 アマリリスは四方に大きく咲き、その中央にも蕾がある。白っぽくて赤みある絞りだけど、こちらの方が白なのかもしれないとも思う。もう片方が先で咲けばわかることだけど。
 花は私が精一杯広げた手のひらよりも大きい。雰囲気があり、可憐そうでいてしたたかな物思い風な感じは名女優が持つもののようだ。背丈は80cm。パンフレットに、真っ直ぐに伸ばすためにも毎日少しずつ陽の当たる方を変えるべく回して育てましょう、とあった。その通りしているのだが、しかし豪勢な花がこうして四方に咲くとスッとした茎には辛いようで、グラグラしている。この写真の後は傍のテーブルに寄りかかっている格好だ。ポーズ決めた女優っぽくてそれもいいかも、とか思う。しかし頭が重いのにこの細くてシュッとした茎なのだと思うと、外で育つ来年からは添え木を当てていないと風で折れそうだ。上手に添え木をして、家の中から見ると絵になるようにしたい。切り花にして花生けしたい気持ちもいくらかあるが、やはり風を感じて土に根を張って生きていく姿を見たい気持ちの方が大きい。いや、大きくなった。

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2012.04.22

アマリリス咲く

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 いただいたオランダのアマリリスが咲いた。花は赤と白、と書いてあったが咲いたのはたぶん赤なのだと思う。白ベースの赤絞りのような感じなのだが、白ではないような気がするので。従来の庭先で見てきたアマリリスは地にしっかりと根付き逞しく太い茎にオレンジ色の強烈な色のラッパ咲きの花が四方に出ていた。夏場に見ると暑苦しいなあと子供心に思ったものだった。実にスマートにスーッと伸びてこのアマリリスはラッパ状でなく手のひらをパー状態に広げたように大きく開いて咲いている。色も先に言った通り柔らかいぼかしの色味だ。葉を見なければ百合だと間違えそうだ。近年は違うが、昔の日本人と西洋人との姿のようにも見える。
 もう一つの鉢の、伸び悩んでいたアマリリスは時間差で楽しませてくれることだろう。まだまだこれからといったところだ。花が真っ白かどうかを早く知りたい。咲いた方が赤ならば真っ白ではないかと想像する。

 我が家の庭に毎年出る従来型のアマリリスはまだ存在がわからない。もうすぐ陽光を感じると突然姿を現してぐんぐん伸びて咲くのだろう。近くには植えないけど花期が過ぎたらこの鉢植えのアマリリスも地植えする。来年からは外の空気、風を感じて皆仲よく伸び伸びと咲いてほしい。

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2012.04.19

育つ

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 東京ではJR高田馬場駅に着いた時も去る時もホームに流れる鉄腕アトムの音楽が心地よく元気づけてくれた。もうそれだけで嬉しかった。
 我が家に帰ってみると銀婚記念樹のハナミズキがしっかりと若葉の枝だった。市がくれたものだからたいしたものじゃないなどと横柄なこと言っていて悪かった。よくよく見ると最初はブロック塀よりもっと下の丈だった。今はそのブロック塀どころか私の背丈より高くなっている。先日、「私がハナミズキに毎日歌っていたのがいけなかったみたいね。ある時そう思って止めたらなんだか成長してるんだよね。」と夫に言ったら夫が大笑いした。きっと夫も大真面目にそう思っていたのだ。悔しいけど本当だろう。「うーすべにいろのーー♪」と下手っぴが毎日うなっていたらハナミズキはうんざりだったかもねえ。なんとなくわかる。
 歌うのやめたそれからというもの、成長著しいよ。育て、育て、ハナミズキ。花咲く日が待ち遠しいな。あなたはこの家のシンボルツリーなのだからねと、もう口にはしないけど私は思っている。声にするとすべてうんざりかもしれない。私だってそういう時期あったし。いや、反抗期ではないだろうけど。
 まっ、そんなこんなで私はこのところ毎日ハナミズキに「よしよし」とだけ毎回言っている。

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2012.04.13

春の銀座、ヤブツバキの下で

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 東京に行った。用があり一週間ばかりの「おのぼりさん」していた。朝一番の飛行機で行ったのでわずかな時間を銀座に費やした。銀座はやはり安心して歩ける落ち着いた街ではあるが、時の流れで行く度に様変わりしている。世界的なブランドショップの乱立があったと思えば、今は世界的に有名なリーズナブルなショップの乱立だった。ずっと変わらずにそこにあると確信していた店舗が閉店していたり別な店となっていたことはショックだった。

 有楽町駅、プランタン銀座からどんどん歩き銀座8丁目の博品館まで行ってそこから新橋駅に。その日は風が冷たく強かった。振り返るとヤブツバキの木。ヤブツバキ、花椿通りの信号を挟んで資生堂。陽は暖かく、春の陽だった。ヤブツバキの木の下で一枚の写真を撮り、何十年もの思いにふけった。その信号の向こう側から様々な世代の時の自分が笑いながら歩いて近づいてきた。この街ではいつも笑っていた。本当にそうだった。そう、そして今も笑ってそれらを思い出している。もっと先でトコトコとようやく歩けている自分でも、ここで振り返って笑っているだろうと思った。

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2012.03.30

咲き行くサクラ

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 サクラは開花宣言が出るとそれからは解禁されたかのように勢いよく咲き行く。近くの公園のサクラはいくつも廻ったが何処もサクラの枝を切り落としていたりして枝ぶりがよくない。それほどシロアリにやられたのだと思う。なんとか通りかかった隣の町内の公園で見上げたサクラの枝を撮った。びっしり咲いているわけでもなく、これから咲き行く動きが感じられる。

 古希祝いで、ご本人は最後だということだったが生け花個展をされる先生に蕾のサクラを贈った。ネット上で贈ったのだが、枝は束ねてあり冷蔵便できちんとした状態で届いたということ。昨年の今頃に開催されるはずであったが未曾有のあの大震災に遭われ、それでも一年後の今に開催され、おめでたい。伺いたい思いはあったがその会期中は私はどうしても東北へは行けない。しかし会期が土日の二日間だけというのも悪くないかもしれない。手入れや手間の大変なこともあるが、良い状態の二日間だけということは画期的でもある。
 先生は古希ということだがお礼の電話が入り、お声は相変わらずの若々しさ。十年以上お会いしていないが、あの昔も乙女な先生であった。サクラ色というウブなふわふわ感はお変わりなく、懐かしかった。個展は体力的なものもあるので最後かもしれないが「可愛い、可愛い」と言いながら花生けされる先生でずっとあり続けていただきたい。咲き行くサクラの木の下でそういうことをふわっと思った。
 

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2012.03.24

咲いてね、アマリリス

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 二つの鉢でいただいたアマリリスだが、簡単な説明書通りに水やりして育てていた。ところが、1個の方は普通に育ち、もう1個の方は育たない。同じようにして育てているのにどうしてこうも違うのー、と何処にでもある家庭の親のような気持ちになる。しかし、とても遅いだけで、死んではいない。2、3枚の葉が約1cm出てはいる。
 あまりに片方がぐんぐん育っているので心配になる。通る度に覗いてみる。朝は突然グンと伸びるわけはないがいくらか目に見えて育ってはいないかと見に行く。夜にカーテン引く時もやはりじっと見る。遅くても、時期をずらせて楽しめるのだからそれでいいけど、本当に咲いてねとわずかに祈る。

 水やりを始めたら外には出さないように、と書いてあった。何か、家内飼育で一生を終えさせるペットのような感じがした。我が家には庭があるのだから地植えにしようと思ったのだが諦めた。なんとか持ち場で生き抜いてもらいたい。赤の方か白の方か色味はわからない。ぐんぐん伸びて育っている方が花咲かせたらわかることだ。しかし今回楽しませてもらったら来年からは地植えして外で咲いてもらおうと思っている。

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2012.03.18

春雷

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 明け方、大きな雷の音で目が覚めた。雨はたぶん降っていたと思うがわからない。しばらくその音は続き、しばらくして鳴り止んだ後も残響が残った。私は何回も寝返りしてじっと目を閉じてはいたがその後は結局眠れなかった。お彼岸のぼた餅を作ることもあり、早めに起きた。玄関の戸を開けた時、日中さんざん散っているが梅の花びらが沢山だった。その花びらを踏んで郵便受けの新聞を取りに行った。もっとびっしりでもよかった。なかなか楽しい花道歩きだった。

 春雷は春の訪れだけど、追い出される冬の神様が怒りまくっての置き土産じゃないかと思ったことがあった。そうしてそれであっても春の神様は事も無げに森羅万象芽吹く様子を微笑んで眺めておられるようにも想像したりしていた。北国ではないので冬の本当に厳しい寒さの時期はわずかだ。年々根性なく寒さに弱くなっていっているが、過ぎると本当に早かった、短かったといつも思う。
 まだまだ被災された方々の生活は元に戻るどころかなかなか落ち着かないお気の毒な現状であるようだ。それが原発被害まであったのだから収束など、その目途はその目途の目途すら立っていないように思われる。早く春雷が訪れて冬の時期の終わりを告げられないものかな。しかし春雷のようではバイオレンスかな。やはり地道にコツコツとできるだけ早く、ということになるだろうなあ。

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2012.03.13

早春の空

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 これまで冬の過ごし方は悩みの種だったが、この冬は長く生きてきて初めてなんとかマル印と思えて嬉しくなった。暑いのはわりと平気であって、とにかく体が動く。動いて汗になると拭ったりシャワーだったりでさっぱりする。冬は体が動かない。寒さで頭痛さえ起こるし、とにかく怠惰になり果ては自分が情けなくなる。北側の部屋へ行きたくもなくなり、掃除も最低限。見て見ぬふりすることだってあった。ところがなぜかこの冬は一歩進んでいた。大体同じように暮らしていたのだが、小さなことを少しずつ続けることを心がけた。計画も立てずひたすらポイント掃除を続けた。片付けもそうだった。そうしたら大きな収穫ではないがその内にそこそこすっきりくらいにはなっていった。そうなると長年の冬の自己嫌悪が初めて起こらなかった。これは小さくて大きな発見だった。なんとか増毛法の逆であって、ストレスも無い「毎日少しずつ法」。一人で拍手喝采。

 庭のサンシュユはポンポンとした花をびっしり付けた。寒の戻りとかでここ数日、冬の気温になった。早春の風は冷え冷えとしてスーッと渡っていくが黄金色のサンシュユの花枝は早春の空に映えていた。

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2012.03.04

紅白の梅

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 年明けてからの2、3ヶ月が経つのは本当に早い。気が付けば我が家の梅は満開。隣り合っている紅白の梅の花が交差する場所がある。いかにも「おめでとう」といった気分になる。受験シーズンもピークで、今年もまた我が家近辺でもそれらしい学生服姿が多く見られる。がんばれ、学生諸君。私はもう入学試験は受けることがないけど、もう受けたくもない。新聞紙上に載る試験問題を見たくもない。採点しなくてよい、テレビでやっているクイズ番組で呑気に参加するくらいが楽しい。うろ覚えであったり忘れてしまっているものがある。もしかしたらそっちの方が多いかな。そろそろ頭のトレーニングというか、柔軟体操くらい始めなくてはと思う。

 写真は昨日撮った。よく晴れて、桃の花ではないが「うれしい雛祭り」という感じだった。このところ晴天は続かない。今日は曇天だ。今夜から雨という予報が出ている。紅白の梅の花びらもはらはらと落ちてゆくだろう。私は今日やや頭重気味だが、ポコポコとびっしり咲いている梅の花を見上げるとそれも忘れる。

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2012.02.28

ラジオが帰ってきた

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 ラジオが私の元に帰ってきた。家族が「ノイズがひどくて聴けない」と言って私にあの小型ラジオを渡しにきたのだ。言うなら出戻りさんだが、大いに歓迎した。ぐるぐる生活はほぼ三日で終了。あの手回し発電の多機能ラジオは本来の役目の通り非常用として備えることとなった。しかし何らかの原因はあってもほどなく復旧する停電ならばいいが、大きな災害に遭ってあれを取り出したくはないものだ。

 この小型ラジオは何かの記念品としていただいたものだった。もう忘れたのだからずい分以前のことだったに違いない。私は、確かに本格的に音を鑑賞するのでもないし、とにかく聴けるならばよしとしてきた。ノイズはある。本体をあちこち向けたり、小さなアンテナを回したりしてほぼよいであろうと思われるところで聴いている。よかった、よかった。手回しはエコではあったがバッテリー切れ近くなると音は小さくなるし、ぐるぐるも大変に感じていた。「お帰りなさい」でラジオを点けた時に流れてきたのはモーツァルトだった。台所の椅子に腰掛けてしばらく聴いた。たとえうたた寝してしまっても、起きてぐるぐるしなくてもよいのだと思うととろとろ眠くなった。

 

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2012.02.26

ぐるぐる

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 家族に小型ラジオを渡したので私が毎日台所で楽しく聴いているNHKのFMが聴けなくなった。これは一大事。ラジカセとかは大きくて置く場所がない。トランジスタラジオは歩く時だけのもの。さて、と思った時に、そうだと思い出した。非常用に買っていた手回しラジオがあったことを。これは1本でライト、点滅赤ランプ、サイレン、ラジオ、携帯電話の充電ができる頼もしい商品。写真では後ろになっているがハンドルを回して発電する。1分でライト(LED)は30分、ラジオは8分使用可能となる。

 ただ回しているのは1分でも退屈なのでハミングしたり歌ったりした。何が合うのかなーと思いながら童謡からビートルズ、果ては演歌まで試してみた。このハンドルはくるくる回るのではなく発電するのだから少し重めであって、ほんの少しのニュアンスの差ではあるがぐるぐると回る。歌も下手だが、あまり好みでもない演歌が一番合うように思われた。「♪女~心の~未練~でしょう~」と小さく歌いながら、ひたすら手元はぐるぐる。「♪あーなたー恋しい~」感情移入もなく、ひたすら、ぐるぐる。間奏すらも適当(たぶん、我流)に「♪チャラララー」とか入れて、やはりぐーるぐる。

 その一人大奮闘の末に、またラジオが聴ける。偶然にも最初にラジオを点けて流れてきたのは大音量の「新世界」だった。まあ運動不足もあるし、応援歌は先々考えることにして、とにかくぐるぐる生活しようと決めた。なんともエコ、まさに「新世界」だ。

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2012.02.19

女優ミラー

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 数日前のこと。夫が電話に出て、私に替わった。最近ネット買いした商品の販売会社からだった。本体に電池が入っていたので何も思わずに使っていたが、予備の電池が付属であるのに入れ忘れたということ。本日送りましたので、という電話だった。「まあ、どうもご丁寧に。商品気に入ってますよ。」と言って私は電話を切った。そして、隣の席で仕事していて電話を受けてくれた夫に何も言わずにいられなかったので「ネット買いしたのよ。その会社から入れ忘れの予備電池を別送したという電話だった。」と一応話した。「・・鏡をね。」「鏡!?」「うん、女優ミラー。」「じょ、じょゆうミラー!?」「知らない?一時期、流行ったよ。私、何人かにプレゼントしたけどね。なんとなく自分用にネット買いした。」それ以上は聞かれず、話さなかった。いやん!あの会社が入れ忘れしなかったら秘密の鏡のこと秘密のままだったのに。

 小さくてコンパクトな女優ミラー。メイク室にいるようなライトが灯る女優ミラー。うふんとか言いながら部屋で一人楽しんでいる。シニアこそこんなことして楽しまなきゃとも思いつつ。LEDライトがまぶしくて、ほとんど逆にして下からの跳ね返りライトにしている。するとテレビでよくある下からの強いライトのようになる。普通に見るよりきれいに見える。写真はうさぎのさあちゃん。モデルになってもらったが上ライトと下ライト、あまり変化が判りにくくて残念。

 さて、最近この商品は私の手のひらに乗る大きさではなく大き目のものも発売されたとのこと。それはなんと「大女優ミラー」と言うらしい。私はそこまでは要らない。そこまでして知られた時の夫の引き方も想像できる。

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2012.02.17

ほら、白梅が

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 庭に出たら、まだだなーという梅なのだが、一輪だけ白梅が咲いていた。慌ててデジカメを取り行き、撮影。高い所なのでかなりのズームでぼやけ気味になった。紅白の梅の木があるが、いつも白の花の方が咲くのは早い。しかし、まだまだ蕾はかたい今、どうしたのだろう、一輪だけ。

 昨日、呼吸器内科に行き検査。私は先月で一年越えたが肺に炎症が起き、なかなか改善の様子がなかった。それが初めて「少しですがよくなっていってますよ。抗生剤を続けましょう。」と言われた。ずっと抗生剤も効かず、肝機能の悪化のため中断してその治まりを待ってから先月の検査の後にまた飲み続けていた。ここにきて初めて春の兆しが見えた。それはまるで「まだね」と思って眺めやった時に発見した白梅一輪と同じだった。
 私の昨日の日記の書き出しは「よしっ!」だった。皆、勢いのきっかけを待っている。私はここから怒涛の改善を図り、鼻息荒くバンバン元気になっていくのだ。そうしている内に世の中は春。晴れて花見とは、これはいい。これを目指そう。どなたのお計らいかわからないけど、嬉しい。あれは造花じゃないよね。きっと天国の母がすっと指差しして・・・かも。あっ、そうかもしれない。洗濯物干しに出てからする私の行動を知っている人は他にいないものね。

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2012.02.14

チョコレートケーキ

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 雨の中、洋菓子店まで出かけてチョコレートケーキを買ってきた。夫への今年のバレンタインチョコは無しで、チョコレートケーキにした。滅多にケーキ自体、買ったり食べたりしないけど時にはいいものだ。このチョコレートケーキはオペラという名前で販売されているがぐっと濃厚なチョコだ。しかし、それでも甘過ぎるということはない。今日は私も同じものを一緒にいただく。夫はコーヒー、私はハーブティで。

 冷蔵庫に入れておく前に写真撮影。と、ケーキだけでは何かさびしい。そこで雨の中、庭に出た。私は数日前に見つけたフユシラズの小さな花を抜いてきた。摘んできたのではなく、抜いてきたのだ。水を張ったガラス製のデミタスカップに根洗いしたフユシラズを入れて、それをケーキの傍に置いて撮影。赤いガーベラやバラならばもっと雰囲気盛り上がったかもしれないが、まあ、上等。バレンタインデーに「フユシラズ」ってのも寒さ知らずの仲ってことで悪くない。根洗いしたフユシラズは明日にでもまた土に返す。冬の陽をたくさん浴びて大きくなってほしい。

 今晩のケーキの時間が楽しみだ。これ以外にプレゼントは無いので、普段以上に今日は愛想よくしてニコニコしておこう。夕飯はちょっと素敵な献立かと言うと、そうでもない。雨でひんやりするから豚汁を作る。そう!ご飯の時もニッコニコ。ハッピーバレンタインデー、ニッコニコ!ニッコニコでチョコレートケーキをパックパク!

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2012.02.06

アマリリスの鉢

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 先月、友人からアマリリスの鉢をいただいた。それはオランダ輸入のもので、宅配で箱に入って届いた。赤と白のアマリリスの株が1個ずつ鉢に入っている。いかにも、のオランダの風車絵柄の栽培鉢だ。冬日の窓際に仲よく並べている。なんとも地味な今だが、葉でも出て伸びてきたらワクワクものだと思う。花が好きな私が喜んでくれるだろうと思って、となんともありがたい言葉がメールで届いた。アマリリスのいただきものは初めてだ。庭には従来の朱色っぽい赤のアマリリスが地植えしてあり春になると葉が出て、毎年初夏の頃にバンと咲いてくれる。さすがヒガンバナ科だと感心している。ずぼらな人にはこういう律儀(?!)な花は助かる。

 花鉢をプレゼントしてくれた友人は幼なじみだ。アマリリスというと、楽曲の「アマリリス」をやはり思い出す。「ラリラリラリラ・・・調べはアマリリス ♪」と陽気に歌ってしまう。音楽会でやった曲だったとも思う。合唱でも器楽でもやったように覚えている。そしてあの頃はどこのお宅の庭にもアマリリスがあったのではないかとも思える。。それ程、昔はメジャーな花だった。今回やってきたのは改良品種の赤と白。地植えのものより早く花が咲く室内栽培だ。葉の色味が先ず見えてくるのが楽しみだ。アマリリスの歌を鼻歌しながら待っている。まだまだ真冬の只中。私は根性なく震えている。しかし心は折れていない。春の夢を見ている。

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2012.01.30

携帯電話

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 昨年、我が子とのホットラインとして携帯電話を持たねばと思い立ったその日に街へ出てショップで購入した。決して不親切な店員ではなかったが面倒そうな対応が伺われて、最小限の質問しかせずに帰った。と言っても取り扱い説明書が有料というので「ネットで見るから不要です」と言ってきたのでネットでそれを取り出して取り組んだ。しかしこういう類のものはまったくの若葉マークさんには解りにくい。そこで電話で質問することにした。こちらは相手がシニアと判るとびっくりするほど懇切丁寧だった。よくわかった。しかし、一度の電話での質問もいいところ2、3点だ。結局、携帯電話はパソコンみたいに扱って、混乱して、動揺して、冷や汗流しながらなんとか自分で使う分は道を見つけた。メールは手っ取り早いだろうが、手打ちして文章にする方が好みだ。オートマ車よりクラッチがある車を好んだように。携帯電話は合理的で、しかも楽しいということはある。絵文字などはジュニアだったらさんざん使ったことだろう。
 我が子が故郷を離れて10年。我が家のパソコンはほとんど点けっ放しなのにメールが来たのは2回だった。電話は多々あったが。それが、携帯電話にしてからは「タダ友」となり、来る来る。これは正解だった。
 長かった「マトリックス」時代。しかし外から自宅に電話する時などはやはり公衆電話だ。いただきもののカードがあることもあるが、公衆電話をかける行為の馴染みが好きだ。それにしても私は「マトリックス」のように、ある時、公衆電話をかけるとザイオンに導かれるのではないかと妄想したりもした。

 写真は我が家に置いている携帯電話スタンド。この豆太郎くんがしかと携帯電話を抱えていてくれる。そして私が出かける時と眠る時はオフになりゆっくりしている。毎日「お仕事、お仕事」と朗らかな表情で頑張っている彼は実に微笑ましい。

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2012.01.26

サッカーゴジラ

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 私はストラップにアクセというかお守りのように付けているものがある。サッカーをしているゴジラだ。小さなものだが、ちゃんと歯や手足(?!)の爪も細かく描いてあり、迫力がある。オヤジさんゴジラ風だが「ヌオーッ!!」とシュートを決める瞬間だと思う。心が燃えているからちゃんと背びれも色が変わっていて、なんともよく出来ている。
 
 先日クラスメイトの集まりで「遂にあなたも携帯デビューしたのねぇ。どんな携帯?」と友人に言われたが「一番一般的なのものよ。」とだけ言った。携帯電話は仕方なくだが自発的に昨年春から持っている。ショップに行って、一番お安いのくださいと言ったら「これですね」と言われて出された商品だ。メール契約も不要、アクセもすべて不要と言い切った。それ以前は派遣の仕事で必要だったのでとりあえずプリペイド携帯を持っていたので、充電器は買わずに済んだ。やれフォトスタンドやら、パケット云々とショップ店員がせめて少しは色添えろよとばかりに売り込んで来たが徹底して「要りません」と断った。
 そういうキリの携帯が恥ずかしいなんてことまったく無い。ただ、表に出せなかった。他の皆さんの女性らしいストラップが優雅に揺れるテーブルの上で、「ホレ、これですよ」と、なんとなく出せなかった。私が笑われるということよりも、ちょっとシラーッと場が冷めそうで。

 でも、後悔してるよ。ごめんね。私はサッカーゴジラ、あなたが大好き。ずっと見ていても飽きないよ。私にピッタリな大切なお守りだよ。

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2012.01.21

元気な心で

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私は小さい頃は病気ばかりしていた。赤ん坊の時は風呂に入れていて息していないのに気付き、父母が大慌てで病院に運んだことが一度ではなかったとも聞いた。真ん前が病院だったから助かったということだった。父が小学校に上がるまで生きられるかと思ったと言っていたものだ。学校を休んだり、学校から病院に通ったこともわりと多かった。ところが小学校中学年からは普通の体調になった。いや、バリバリ元気だった。そしてずっと後に結婚、出産しても十数年それは続いた。なのにここ十数年のひどいこと。ある日、そういう幼少時代であったことを思い出した。

 数日前、テレビで「左手の人差し指の渦巻きが巻いていたら病気しない体に生まれてきたこと」と、バラエティ番組ではあったがその道の専門家が言っていた。指紋は赤ちゃんの時から生涯変わらない。「左手の人差し指」の限定の意味については説明がなかったが興味深かった。事実、その番組内のゲストで見て、実にタフなタレントがそうだった。多くの人は渦巻きがしっかりしていなかったり流れているらしい。
 昨日、私はトゲ抜きになっているルーペでそうっと自分の左手の人差し指を見てみた。すると驚いたことにそこにはしっかりと渦巻く指紋があった。もはや会えない父母に「ありがとう!」と叫びたかった。

 占いと同じだ。良いことは信じたい。考えたら、幼い時もそうだが交通事故で死にかけても死ぬことなかった。いろいろな病気だって普通の手術で済んだし、それ以外も通院していてなんとか普通でいられる。とにかく運は強そうだ。大事にしてゆこうと思う。「最後の一葉」のように、このことは私の心を突然元気にした。私は元気と言うか、単純に生まれたのは確かだ。
 
 写真は、引き続きクリスマスローズ。うつむいて咲く花だが弱くはない。しっかりとしている。白い貴婦人は元気な花だ。

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2012.01.11

新春のクリスマスローズ

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 寒い朝、玄関傍に今年もクリスマスローズが咲き始めた。いつも1月半ばからどんどん咲いてくれる。まだ短く小さい花茎だが1本の茎に2つ、3つと花が付いているので、本来うつむいて咲くのに上向きに花が付いていて咲いているのもあった。私はそれを少し摘んできた。
 花器は柑橘類の八朔(ハッサク)の果肉を取り出した皮部分だ。果肉はくりぬきながら私がスプーンで食した。酸っぱく、爽やかな味でグレープフルーツの白と見た目も食味も似ている。挿し口付近は指先で白い裏側を取り出して薄く仕上げた。無造作に挿してあるが、摘んだ時に在った状態をできるだけ再現している。大きな葉がこういった花の上に幾重にも覆いかぶさっていた。その葉越しにこれらの小さな花が見えた。

 白い貴婦人とかも言われるが、有毒ということで花言葉は決してよいものばかりではないようだ。悪評、スキャンダルなど気の毒なものも。しかし、冬を耐えて春までうつむきながらしっかりと咲き続ける健気さには打たれるし、希望の花に思える。やさしい友人が聞き役になってくれているような感じの花だ。「うん、うん。そうね、そうだね」という風に。人のストレスをも抱えて、その人を肯定してあげて少しこうしたら・・・というアドバイスまでさりげなく言っているようにも感じられる。ひょっとしたら自分のことは秘密な花かな。だから毒持っているのかな。そこまでミステリアスではないかもね。まあ、あまりうるさい人って好きじゃないわよねーなどと独り言言いながらパッパと生けた。クリスマスローズは最初から最後までじっとして黙っていた。

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2012.01.02

こんにちは、2012年!

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 新しい年になった。年の始まりには、ささやかでも夢も希望も抱く。信じられない大きな事から、ごく些細な事まで。天候は曇りで朝日は拝めなかったが、例年にない年賀状の到着だった。いつもは昼前に届くのだが今年は朝刊を取りに出たら一緒に入っていた。間違いなく午前7時半迄には配達されていた。ひょっとしたらラッキー!とか思った。そういう私はおめでたいが、元日というものはおめでたいし、ありがたいものだ。家のこともすっかりお休みできて、年賀状をしかと眺めたり、テレビ三昧だったりでコタツからあまり出ない日だ。この日は楽しきかな、ぐうたらの極みだ。訪問客も無く食事の時に家族が揃う以外はコタツでゴロニャンの自由な一日だ。

 翌日である今日、書初めはしないが通常通りの日に戻った。そして一日の始まりには、やはりささやかでも夢も希望も抱く。少し明るい陽射しを見ると楽しいことを考えてフフンと笑っている。十年日記なるものを書いて二冊。今年から三冊目になった。こうなったらさらに十年後にも元気で新しい十年日記を手にしていたいと思う。

 こんにちは、2012年。年の始まりに際して抱く夢はキラキラ。「坂の上の雲」とは次元が大幅に違うけど、気分的には坂の上のキラキラ。今年もそれのみを見つめて行くことだろう。掴み取れないキラキラでも、キラキラは希望の象徴。笑顔で、過ごそう、この一年も。

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2011.12.29

スイセン

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 玄関先のスイセンが咲いた。少し向こうには何株かありまとまって咲きつつあるがこちらは小さな一株でたった二輪の花が咲いた。さすがに本格的な冬の寒さに二輪だけで心なしか震えて身を寄せ合っているように見える。これを見て、私は遠い昔のことが思い出された。姉と私だ。そういう写真が残っているが、姉妹仲よく寄り添っている。「寒いねー」「うん」「寄ってたらあったかいよ」「うん」そういう会話が聞こえてきそうな写真だった。
 もちろん今でもそれなりに仲はよい姉妹ではある。しかし人生の途中からそれぞれの生活環境の違いは大きく、加えて元々の性格や価値観の違いがあり、あのように無邪気に寄り添うことはできない。それは自然な流れであって悪いというものでもない。

 「絆」という一文字が今年の象徴とされた。いざとなると絆は強いけれども、日頃は自分の目の前の生活で精一杯、なかなか近いものでもなくなっている。それでも、今年この国に振りかかった未曾有の大災害は多くの人の心に「絆」という言葉を甦らせてくれた。私もその例外ではなかった。
 母が亡くなって久しく、父も今年七回忌だった。生まれ育った家族としてはもはや姉一人だ。姉のことは、たまにむかついてもお互い様だと思って、大事にしていこうと思う。そして今の私の家族、その周囲の人々も大事にしてゆきたい。

 来る年は世の中も個人的にも穏やかで良い一年でありますように。今年一年、更新も頻繁でなく、楽しいというほどでもないこのブログをお訪ねくださったお方々に心より感謝、感謝。皆様、良い新年お迎えくださいますように。

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2011.12.12

今年のクリスマスコーナー

  Imgp1727_今年もささやかな我が家のクリスマスコーナーだ。毎年大体似た感じにまとまっている。でも、今年は友人手作りのラベンダーのポプリの香り袋が届き、目玉で最前線に鎮座していただいている。ご親切に家族分を作って送ってくださった。スノーマンも嬉しそう。やたらトップスターばかり大きいチビツリーの下にドドーンとクリスマスギフトが、といった感じで楽しさ倍増する。

 昔、私の最愛の母が繰り返し死の縁を彷徨っていたクリスマスがあった。そんな時、用のため街に出ると、何処もクリスマス色の中を歩いていてクリスマスソングは他の人のものに思えた。虚ろな心の私は、それでもふと小さな展示のクリスマスツリーにじっと見とれた。これ見よがしの美しさ、可愛さでなく、言うなら古めかしい素朴なクリスマスツリーだった。現代の懐古趣味的な真似っこでもなく、実に素朴な味わいだった。赤と金色の玉が下がっていて、毎年使ってきたのか色あせもあった。薄く綿を引き伸ばして枝に掛けて、トップスターだけあったように思う。ショーウインドーの中のそれを二十歳を過ぎた私は飽きることなくずっと見つめていた。幼い頃の思い出が甦ったのかもしれない。クリスマスは希望の日だと言った母の言葉がそうなんだーと思えた気がしたのを覚えている。

 想像を絶する体験をされ、今もなお不安や苦悩ばかりの中にある今年の震災で被災された方々に心身とも冷え込む厳寒の季節が来た。辛い年の瀬、お掛けする言葉も見つからない。しかし、ささやかなことに希望を持たれ、心身も暖かくなりますようにと祈る。希望ある限り、人は諦めない。明日に乗り込める。

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2011.12.09

今年のクリスマスリース

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 今年のクリスマスリースを作らなければ!先日、突然思い出した私は慌てて庭の藤蔓を取り込みに出た。毎年なのだが昔、庭にあった藤棚の残りが少しだけ伸びる。花を付けることなく地面を這い、何かにすがってじっとしている。そのすべてを私がこの時期にはいただく。葉を落として洗い、ひたすら無造作にクルクル巻いてリースの土台を作る。3個分ができる。今年は陽気に勘違いしていたのか、大幅に遅れてしまったため三倍速、早送りのようなバッタバタ仕上げになった。リボンを巻いて、キラキラの付いたマツボックリを付けて、以前に組んでおいたベルや赤い実、葉、などをトッピング。そして今年は我が家のポコポコにはじけた綿花をポンポンと貼り付けた。私はフラワーデザインで使うグルーガンを使わず、すべて木工用ボンドで留める。すべてが完全に乾燥するまでまる二日はかかった。

 今年のリースのように均等に並ばない、どこかで外れたものがある方が好きだ。この非対称が動きを出す。厳粛な場所、神聖な場所、うんと落ち着いた所などには安定感ある静のものがよい。私個人のものならば、やはり動、動きがなければ。最後の段階であるポコポコした純白の真綿をそうっと土台に取り付ける頃は、三倍速の動きではなくなっていた。夢のようなふわふわをドキドキしながら配置した。にわか仕立てだが、これをメインに現在さまざま置き合せをしている最中。もうすぐささやかながらステージが出来上がる。

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2011.12.06

コウテイダリア

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家族が人からいただいてきて植えていた苗木はぐんぐん伸びて、そして冬になった今、花を咲かせた。途中、夏あたりにわさわさとした大きな葉が茂り、風になびいてゆらゆら揺れているのは少し不気味な感じさえしていた。家族に聞くとコウテイダリアだと言う。そんなに背高ノッポになるとも知らずに庭のほぼ真ん中に家族が植えたので実に不調和に思われた。恐ろしい手招きにも見える大きな葉には虫もよく付き、葉ごとカットしていたので地面から二メートルくらいは茎だけだ。さらに一メートルは伸びて、数日前に多くの蕾をつけた。そして一つずつ花が開いていっている。

 コウテイダリアは背高いというだけで「皇帝」が付いたとか。それでいいのかなと少し感じた。ノッポダリアではパッとしないけど、皇帝は言い過ぎではないかなと私は花を見上げながら毎日思う。もしかしたら晩秋から冬になる時に咲くということが何かあるのではとかも考えたが、調べたところ背高ということだけらしい。見上げていてもお顔が十分に見えないあたりが「上のお方」ということだなと私はいくらか納得した。きっと「何!?失礼な人!」と思いながら見下ろしているんだろうなーとも思いながら家の中に引っ込んだ。

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2011.11.28

サクラの紅葉葉

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 家の表に落ち葉で混じって来なかったサクラの紅葉葉(こうようば)を求めて近くの公園へ。幼い子どもがやはり拾っていた。いやん!負けられないとばかりにパッパッと拾っていく。ライバルがいると子どもも燃えて目の前に立ち塞がって落ち葉拾い。大人気ない対戦はわずかな時間で決着がつき、子どもは残り私は去った。要るものだけ目ざとく見つけた私だから「こんなものね」と切り上げたのだが、あの子は自分の領域から邪魔者を追い出した感じで意気揚々と居た。拾った葉は両手にいっぱいだった。私は扇子風に片手に持って帰還。我が家で記念写真。もう少しグラデーションになるように沢山ほしかったけど、などとも少し思った。しかし傷みは多いがサクラの紅葉はやはり好みだ。柿の葉は破れ、斑点や虫食いがどれだけあっても味わい深いものとなって飽きないと最近書いたが、それは多くの人がそう思うことだ。しかし、サクラの紅葉を同じように思う人はいないのではないだろうか。柿の葉はそれ自体がしっかりしていて重厚で大きな葉だ。サクラは柔らかく薄めの葉であり紅葉葉が傷みさえなければどれだけ美しいかと思う。ほとんど傷んでいないサクラの紅葉を見つけた時には歓声をあげるくらいだ。痛々しいとまでは言わないが、私には傷みをじっと辛抱しているように感じられる。だから拾うたびに汚れを払い、手のひらに乗せてやさしく撫でる。今日は子どもと競争だったのでその余裕はなかったから持ち帰ってからになった。さて、あの子はあれから沢山のサクラの紅葉葉をどうしたかな。

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2011.11.21

柿落葉

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雨風強い日が過ぎて、表に出てやれやれと掃き掃除。この頃は表通りのケヤキ並木の落葉が多く、たまに違う葉が混じっている。好きなサクラの紅葉葉がないかと掃きつつ見ていると、大きな柿落葉が数枚。よく歩くので少し行った先に柿の木があるのは知っている。しかし、違う所の私が気付いていない柿の木から落ちてきたものかもしれない。私はその柿の葉を三枚拾った。

 イチョウにしてもまったく同じものはなく、形や大きさ色づき具合はまったく一枚一枚個性的だ。ただ、カエデなどとても似通っていて一枚一枚個性的とは言い難い紅葉もある。しかしそれにしても柿の葉は圧巻だ。そして柿の葉ほど虫食いが個性的になれる紅葉は無いと思う。鮮やかで美しいだけは私は飽きる。柿の葉は実に飽きない。一つ一つ、すごいなーと思いながらずっと眺めていられる。「そうだ。この虫食い葉の紅葉のように、体の欠陥を個性にしてパワフルに生きよう。よかったー、まだ間に合ったね。」と心で思いながら残りの掃き掃除はさっさと切り上げた。このように単純な人間に拾われた柿の紅葉した葉三枚は水洗いして泥を落とすとさらに鮮やかになった。

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2011.11.14

線路を渡る

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 我が家の近くの踏み切りから見える線路だ。単線で、遮断機が上がったら急いで渡らなければ直ぐにまた下がることが多い。向こうに見える駅は少し前まで小さな無人駅だったがエレベーターも備わったすばらしくモダンな駅になった。そしてこの踏み切り近辺の土手も整備された。駅近辺は土手は削られて駐車場、駐輪場になった。この辺りの土手は少しだけ駐車場になっている。以前にこの土手でよく見かけたキツネノボタンを撮影して記事にしたのだが、もうそういった草花が呑気に咲く線路ではなくなった。時代に合わせて便利になっていくのはよいことだ。体にハンディある人が助かることも多い。よく歩く道筋で季節ごとに楽しみにしていた光景も見られなくなったが、時とともに慣れてゆくだろう。

 先日、遮断機が下がっていて電車が通り車内から無邪気に子どもが手を振っていた。そうなるとついこっちも手を振ってしまう。その子がずっと手を振っていると、私も見えている限り振っている。見知らぬ子どもなのだが変わらずにある微笑ましいものはあるなーと思う。マッチ箱のように小さくなっていく電車を横目に「いけないいけない早く渡らなければまた遮断機が下がる」と急いで渡る。時は流れ、どんどん変化するものが多い。そしてそれと関係なく私たちは目の前の現実の生活の流れに合わせていかなければならない。しかしどこかに小さな発見があって少し楽しくなる。
 

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