2012.01.26

サッカーゴジラ

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 私はストラップにアクセというかお守りのように付けているものがある。サッカーをしているゴジラだ。小さなものだが、ちゃんと歯や手足(?!)の爪も細かく描いてあり、迫力がある。オヤジさんゴジラ風だが「ヌオーッ!!」とシュートを決める瞬間だと思う。心が燃えているからちゃんと背びれも色が変わっていて、なんともよく出来ている。
 
 先日クラスメイトの集まりで「遂にあなたも携帯デビューしたのねぇ。どんな携帯?」と友人に言われたが「一番一般的なのものよ。」とだけ言った。携帯電話は仕方なくだが自発的に昨年春から持っている。ショップに行って、一番お安いのくださいと言ったら「これですね」と言われて出された商品だ。メール契約も不要、アクセもすべて不要と言い切った。それ以前は派遣の仕事で必要だったのでとりあえずプリペイド携帯を持っていたので、充電器は買わずに済んだ。やれフォトスタンドやら、パケット云々とショップ店員がせめて少しは色添えろよとばかりに売り込んで来たが徹底して「要りません」と断った。
 そういうキリの携帯が恥ずかしいなんてことまったく無い。ただ、表に出せなかった。他の皆さんの女性らしいストラップが優雅に揺れるテーブルの上で、「ホレ、これですよ」と、なんとなく出せなかった。私が笑われるということよりも、ちょっとシラーッと場が冷めそうで。

 でも、後悔してるよ。ごめんね。私はサッカーゴジラ、あなたが大好き。ずっと見ていても飽きないよ。私にピッタリな大切なお守りだよ。

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2012.01.21

元気な心で

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私は小さい頃は病気ばかりしていた。赤ん坊の時は風呂に入れていて息していないのに気付き、父母が大慌てで病院に運んだことが一度ではなかったとも聞いた。真ん前が病院だったから助かったということだった。父が小学校に上がるまで生きられるかと思ったと言っていたものだ。学校を休んだり、学校から病院に通ったこともわりと多かった。ところが小学校中学年からは普通の体調になった。いや、バリバリ元気だった。そしてずっと後に結婚、出産しても十数年それは続いた。なのにここ十数年のひどいこと。ある日、そういう幼少時代であったことを思い出した。

 数日前、テレビで「左手の人差し指の渦巻きが巻いていたら病気しない体に生まれてきたこと」と、バラエティ番組ではあったがその道の専門家が言っていた。指紋は赤ちゃんの時から生涯変わらない。「左手の人差し指」の限定の意味については説明がなかったが興味深かった。事実、その番組内のゲストで見て、実にタフなタレントがそうだった。多くの人は渦巻きがしっかりしていなかったり流れているらしい。
 昨日、私はトゲ抜きになっているルーペでそうっと自分の左手の人差し指を見てみた。すると驚いたことにそこにはしっかりと渦巻く指紋があった。もはや会えない父母に「ありがとう!」と叫びたかった。

 占いと同じだ。良いことは信じたい。考えたら、幼い時もそうだが交通事故で死にかけても死ぬことなかった。いろいろな病気だって普通の手術で済んだし、それ以外も通院していてなんとか普通でいられる。とにかく運は強そうだ。大事にしてゆこうと思う。「最後の一葉」のように、このことは私の心を突然元気にした。私は元気と言うか、単純に生まれたのは確かだ。
 
 写真は、引き続きクリスマスローズ。うつむいて咲く花だが弱くはない。しっかりとしている。白い貴婦人は元気な花だ。

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2012.01.11

新春のクリスマスローズ

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 寒い朝、玄関傍に今年もクリスマスローズが咲き始めた。いつも1月半ばからどんどん咲いてくれる。まだ短く小さい花茎だが1本の茎に2つ、3つと花が付いているので、本来うつむいて咲くのに上向きに花が付いていて咲いているのもあった。私はそれを少し摘んできた。
 花器は柑橘類の八朔(ハッサク)の果肉を取り出した皮部分だ。果肉はくりぬきながら私がスプーンで食した。酸っぱく、爽やかな味でグレープフルーツの白と見た目も食味も似ている。挿し口付近は指先で白い裏側を取り出して薄く仕上げた。無造作に挿してあるが、摘んだ時に在った状態をできるだけ再現している。大きな葉がこういった花の上に幾重にも覆いかぶさっていた。その葉越しにこれらの小さな花が見えた。

 白い貴婦人とかも言われるが、有毒ということで花言葉は決してよいものばかりではないようだ。悪評、スキャンダルなど気の毒なものも。しかし、冬を耐えて春までうつむきながらしっかりと咲き続ける健気さには打たれるし、希望の花に思える。やさしい友人が聞き役になってくれているような感じの花だ。「うん、うん。そうね、そうだね」という風に。人のストレスをも抱えて、その人を肯定してあげて少しこうしたら・・・というアドバイスまでさりげなく言っているようにも感じられる。ひょっとしたら自分のことは秘密な花かな。だから毒持っているのかな。そこまでミステリアスではないかもね。まあ、あまりうるさい人って好きじゃないわよねーなどと独り言言いながらパッパと生けた。クリスマスローズは最初から最後までじっとして黙っていた。

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2012.01.02

こんにちは、2012年!

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 新しい年になった。年の始まりには、ささやかでも夢も希望も抱く。信じられない大きな事から、ごく些細な事まで。天候は曇りで朝日は拝めなかったが、例年にない年賀状の到着だった。いつもは昼前に届くのだが今年は朝刊を取りに出たら一緒に入っていた。間違いなく午前7時半迄には配達されていた。ひょっとしたらラッキー!とか思った。そういう私はおめでたいが、元日というものはおめでたいし、ありがたいものだ。家のこともすっかりお休みできて、年賀状をしかと眺めたり、テレビ三昧だったりでコタツからあまり出ない日だ。この日は楽しきかな、ぐうたらの極みだ。訪問客も無く食事の時に家族が揃う以外はコタツでゴロニャンの自由な一日だ。

 翌日である今日、書初めはしないが通常通りの日に戻った。そして一日の始まりには、やはりささやかでも夢も希望も抱く。少し明るい陽射しを見ると楽しいことを考えてフフンと笑っている。十年日記なるものを書いて二冊。今年から三冊目になった。こうなったらさらに十年後にも元気で新しい十年日記を手にしていたいと思う。

 こんにちは、2012年。年の始まりに際して抱く夢はキラキラ。「坂の上の雲」とは次元が大幅に違うけど、気分的には坂の上のキラキラ。今年もそれのみを見つめて行くことだろう。掴み取れないキラキラでも、キラキラは希望の象徴。笑顔で、過ごそう、この一年も。

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2011.12.29

スイセン

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 玄関先のスイセンが咲いた。少し向こうには何株かありまとまって咲きつつあるがこちらは小さな一株でたった二輪の花が咲いた。さすがに本格的な冬の寒さに二輪だけで心なしか震えて身を寄せ合っているように見える。これを見て、私は遠い昔のことが思い出された。姉と私だ。そういう写真が残っているが、姉妹仲よく寄り添っている。「寒いねー」「うん」「寄ってたらあったかいよ」「うん」そういう会話が聞こえてきそうな写真だった。
 もちろん今でもそれなりに仲はよい姉妹ではある。しかし人生の途中からそれぞれの生活環境の違いは大きく、加えて元々の性格や価値観の違いがあり、あのように無邪気に寄り添うことはできない。それは自然な流れであって悪いというものでもない。

 「絆」という一文字が今年の象徴とされた。いざとなると絆は強いけれども、日頃は自分の目の前の生活で精一杯、なかなか近いものでもなくなっている。それでも、今年この国に振りかかった未曾有の大災害は多くの人の心に「絆」という言葉を甦らせてくれた。私もその例外ではなかった。
 母が亡くなって久しく、父も今年七回忌だった。生まれ育った家族としてはもはや姉一人だ。姉のことは、たまにむかついてもお互い様だと思って、大事にしていこうと思う。そして今の私の家族、その周囲の人々も大事にしてゆきたい。

 来る年は世の中も個人的にも穏やかで良い一年でありますように。今年一年、更新も頻繁でなく、楽しいというほどでもないこのブログをお訪ねくださったお方々に心より感謝、感謝。皆様、良い新年お迎えくださいますように。

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2011.12.12

今年のクリスマスコーナー

  Imgp1727_今年もささやかな我が家のクリスマスコーナーだ。毎年大体似た感じにまとまっている。でも、今年は友人手作りのラベンダーのポプリの香り袋が届き、目玉で最前線に鎮座していただいている。ご親切に家族分を作って送ってくださった。スノーマンも嬉しそう。やたらトップスターばかり大きいチビツリーの下にドドーンとクリスマスギフトが、といった感じで楽しさ倍増する。

 昔、私の最愛の母が繰り返し死の縁を彷徨っていたクリスマスがあった。そんな時、用のため街に出ると、何処もクリスマス色の中を歩いていてクリスマスソングは他の人のものに思えた。虚ろな心の私は、それでもふと小さな展示のクリスマスツリーにじっと見とれた。これ見よがしの美しさ、可愛さでなく、言うなら古めかしい素朴なクリスマスツリーだった。現代の懐古趣味的な真似っこでもなく、実に素朴な味わいだった。赤と金色の玉が下がっていて、毎年使ってきたのか色あせもあった。薄く綿を引き伸ばして枝に掛けて、トップスターだけあったように思う。ショーウインドーの中のそれを二十歳を過ぎた私は飽きることなくずっと見つめていた。幼い頃の思い出が甦ったのかもしれない。クリスマスは希望の日だと言った母の言葉がそうなんだーと思えた気がしたのを覚えている。

 想像を絶する体験をされ、今もなお不安や苦悩ばかりの中にある今年の震災で被災された方々に心身とも冷え込む厳寒の季節が来た。辛い年の瀬、お掛けする言葉も見つからない。しかし、ささやかなことに希望を持たれ、心身も暖かくなりますようにと祈る。希望ある限り、人は諦めない。明日に乗り込める。

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2011.12.09

今年のクリスマスリース

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 今年のクリスマスリースを作らなければ!先日、突然思い出した私は慌てて庭の藤蔓を取り込みに出た。毎年なのだが昔、庭にあった藤棚の残りが少しだけ伸びる。花を付けることなく地面を這い、何かにすがってじっとしている。そのすべてを私がこの時期にはいただく。葉を落として洗い、ひたすら無造作にクルクル巻いてリースの土台を作る。3個分ができる。今年は陽気に勘違いしていたのか、大幅に遅れてしまったため三倍速、早送りのようなバッタバタ仕上げになった。リボンを巻いて、キラキラの付いたマツボックリを付けて、以前に組んでおいたベルや赤い実、葉、などをトッピング。そして今年は我が家のポコポコにはじけた綿花をポンポンと貼り付けた。私はフラワーデザインで使うグルーガンを使わず、すべて木工用ボンドで留める。すべてが完全に乾燥するまでまる二日はかかった。

 今年のリースのように均等に並ばない、どこかで外れたものがある方が好きだ。この非対称が動きを出す。厳粛な場所、神聖な場所、うんと落ち着いた所などには安定感ある静のものがよい。私個人のものならば、やはり動、動きがなければ。最後の段階であるポコポコした純白の真綿をそうっと土台に取り付ける頃は、三倍速の動きではなくなっていた。夢のようなふわふわをドキドキしながら配置した。にわか仕立てだが、これをメインに現在さまざま置き合せをしている最中。もうすぐささやかながらステージが出来上がる。

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2011.12.06

コウテイダリア

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家族が人からいただいてきて植えていた苗木はぐんぐん伸びて、そして冬になった今、花を咲かせた。途中、夏あたりにわさわさとした大きな葉が茂り、風になびいてゆらゆら揺れているのは少し不気味な感じさえしていた。家族に聞くとコウテイダリアだと言う。そんなに背高ノッポになるとも知らずに庭のほぼ真ん中に家族が植えたので実に不調和に思われた。恐ろしい手招きにも見える大きな葉には虫もよく付き、葉ごとカットしていたので地面から二メートルくらいは茎だけだ。さらに一メートルは伸びて、数日前に多くの蕾をつけた。そして一つずつ花が開いていっている。

 コウテイダリアは背高いというだけで「皇帝」が付いたとか。それでいいのかなと少し感じた。ノッポダリアではパッとしないけど、皇帝は言い過ぎではないかなと私は花を見上げながら毎日思う。もしかしたら晩秋から冬になる時に咲くということが何かあるのではとかも考えたが、調べたところ背高ということだけらしい。見上げていてもお顔が十分に見えないあたりが「上のお方」ということだなと私はいくらか納得した。きっと「何!?失礼な人!」と思いながら見下ろしているんだろうなーとも思いながら家の中に引っ込んだ。

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2011.11.28

サクラの紅葉葉

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 家の表に落ち葉で混じって来なかったサクラの紅葉葉(こうようば)を求めて近くの公園へ。幼い子どもがやはり拾っていた。いやん!負けられないとばかりにパッパッと拾っていく。ライバルがいると子どもも燃えて目の前に立ち塞がって落ち葉拾い。大人気ない対戦はわずかな時間で決着がつき、子どもは残り私は去った。要るものだけ目ざとく見つけた私だから「こんなものね」と切り上げたのだが、あの子は自分の領域から邪魔者を追い出した感じで意気揚々と居た。拾った葉は両手にいっぱいだった。私は扇子風に片手に持って帰還。我が家で記念写真。もう少しグラデーションになるように沢山ほしかったけど、などとも少し思った。しかし傷みは多いがサクラの紅葉はやはり好みだ。柿の葉は破れ、斑点や虫食いがどれだけあっても味わい深いものとなって飽きないと最近書いたが、それは多くの人がそう思うことだ。しかし、サクラの紅葉を同じように思う人はいないのではないだろうか。柿の葉はそれ自体がしっかりしていて重厚で大きな葉だ。サクラは柔らかく薄めの葉であり紅葉葉が傷みさえなければどれだけ美しいかと思う。ほとんど傷んでいないサクラの紅葉を見つけた時には歓声をあげるくらいだ。痛々しいとまでは言わないが、私には傷みをじっと辛抱しているように感じられる。だから拾うたびに汚れを払い、手のひらに乗せてやさしく撫でる。今日は子どもと競争だったのでその余裕はなかったから持ち帰ってからになった。さて、あの子はあれから沢山のサクラの紅葉葉をどうしたかな。

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2011.11.21

柿落葉

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雨風強い日が過ぎて、表に出てやれやれと掃き掃除。この頃は表通りのケヤキ並木の落葉が多く、たまに違う葉が混じっている。好きなサクラの紅葉葉がないかと掃きつつ見ていると、大きな柿落葉が数枚。よく歩くので少し行った先に柿の木があるのは知っている。しかし、違う所の私が気付いていない柿の木から落ちてきたものかもしれない。私はその柿の葉を三枚拾った。

 イチョウにしてもまったく同じものはなく、形や大きさ色づき具合はまったく一枚一枚個性的だ。ただ、カエデなどとても似通っていて一枚一枚個性的とは言い難い紅葉もある。しかしそれにしても柿の葉は圧巻だ。そして柿の葉ほど虫食いが個性的になれる紅葉は無いと思う。鮮やかで美しいだけは私は飽きる。柿の葉は実に飽きない。一つ一つ、すごいなーと思いながらずっと眺めていられる。「そうだ。この虫食い葉の紅葉のように、体の欠陥を個性にしてパワフルに生きよう。よかったー、まだ間に合ったね。」と心で思いながら残りの掃き掃除はさっさと切り上げた。このように単純な人間に拾われた柿の紅葉した葉三枚は水洗いして泥を落とすとさらに鮮やかになった。

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2011.11.14

線路を渡る

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 我が家の近くの踏み切りから見える線路だ。単線で、遮断機が上がったら急いで渡らなければ直ぐにまた下がることが多い。向こうに見える駅は少し前まで小さな無人駅だったがエレベーターも備わったすばらしくモダンな駅になった。そしてこの踏み切り近辺の土手も整備された。駅近辺は土手は削られて駐車場、駐輪場になった。この辺りの土手は少しだけ駐車場になっている。以前にこの土手でよく見かけたキツネノボタンを撮影して記事にしたのだが、もうそういった草花が呑気に咲く線路ではなくなった。時代に合わせて便利になっていくのはよいことだ。体にハンディある人が助かることも多い。よく歩く道筋で季節ごとに楽しみにしていた光景も見られなくなったが、時とともに慣れてゆくだろう。

 先日、遮断機が下がっていて電車が通り車内から無邪気に子どもが手を振っていた。そうなるとついこっちも手を振ってしまう。その子がずっと手を振っていると、私も見えている限り振っている。見知らぬ子どもなのだが変わらずにある微笑ましいものはあるなーと思う。マッチ箱のように小さくなっていく電車を横目に「いけないいけない早く渡らなければまた遮断機が下がる」と急いで渡る。時は流れ、どんどん変化するものが多い。そしてそれと関係なく私たちは目の前の現実の生活の流れに合わせていかなければならない。しかしどこかに小さな発見があって少し楽しくなる。
 

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2011.11.07

金紋ツワブキのファンタジー

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賀状を印刷に出しているのでまだピンときていない秋の深まり。ごくわずかな掃除、片付けを続けているが、はたして年内にきちんとなるのだろうか。まっ、いいか。小春日和はうららか、うららか。最後のホカホカに浸っておこう。この時期に咲く金紋ツワブキは、全体を遠景で見ると葉に斑が入っている以外は普通のツワブキと変わりない。しかし、真上から見るとまったくのファンタジー。吸い込まれて不思議なユートピアに入って行きそうだ。それが楽しくてならない。そして、それを摘んで生け花にするなどまったく考えられない。珍しいことだけど。

 今年は東日本大震災という未曾有の出来事も起こったが、個人的にも残念なこと、辛いことも多かった。それでも心の底から大笑いした日も少なくなかった。私は、たぶん7:3くらいで人生は嫌なことの方が良いことより多いのではないかと思う。それでもその3は大きく、気分的には5:5である気になる。そこで、「まっ、いいか」となる。冬に入るという日なのに、この陽気はそんな一つのお授かり。小さな発見に幸せを感じていると得かも。不満ばかり言っていたらキリがないし、損。救われないし、お顔が暗くなっているし。笑顔でいると、もはや若くないのだけどこのファンタジーの画面に入って行っても「まっ、いいか」で赦されそう。そう思うとまた楽しい気分。

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2011.10.26

リメイクで花もリフレッシュ

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 先日生けた赤いガーベラの茎は細く、水切りして水を揚げてはいるが長くは同じようにいられず、やがて茎がへたってくる。くたーっと弱った感じになってくる。その時、まだ花自体は元気できれいだ。思い切って短くする。生け花では時々(特に大作の花展の時)ガーベラの茎の真ん中が空洞になっていることを利用してワイヤーを挿して支えたり曲線を作ったりするが、あまり好きではなかった。それも技法ではあるのでやむを得ない時にはやっていたが。
 花の姿を作り変えること、リメイクすることで違った感じに花の印象も変わる。置く場所も変わる。今回、花器は陶製のゴブレットにした。いただいたものの使用したことがなかった器だ。新しくなくてもアンティークでなくても、生活用品に花が入るのは楽しい。厚みのある本の箱、お菓子の空き箱、急須、弁当箱、花を生けたらどうなるかなと考えて、少しでもヒットするものは捨てられない。もし穴が開いていてもオトシを入れて水を入れると立派な花器になる。

 花がリフレッシュすると気分もリフレッシュする。今回のガーベラに限ることでもないが、たとえ花首が覗かないほどの短い丈に生けても「いい湯だな」と花器の縁に大きな花が顎乗せているようにならないようにしたい。わずかな角度、アングルでちゃんと自立して生き生きしているポイントが変わる。そこを見極めて、花器の中に入れた小さな剣山に留める。

 あと数日で年賀はがきの発売となる11月だ。また追われるように日が過ぎる。スッと茎長いガーベラの時には眺めるだけだったがうんと短めて顔もよく見えるようになったガーベラはカジュアルで人なつこい。「ガーンバ!」と笑顔で声かけてくれている感じがする。

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2011.10.20

南阿蘇へ行った

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南阿蘇へ行った。大分から友人が、そして私は熊本からJR豊肥線で立野駅まで。そこで合流して、南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗り終点の高森駅へ。平地より5、6℃気温は低いというネット情報だったが日中は陽気もよく暖かだった。
 昼は清和文楽を鑑賞、夜には清和高原天文台で天体観測をした。この天体観測は外気の中で2時間、これはさすがに寒かった。しかし、写真でしか見たことがない木星やアンドロメダ大星雲などを大きく見ることができて感激した。

 友人は何十年来の付き合いで、日頃は手紙やメールのやりとり。およそ2年ぶりに会うことができた。先の天文台のロッジに泊まって、翌日同じ復路で立野駅に行き別れるまでずっと話しっ放しだった。しんみりする話もあったが、ほとんどは大笑いの話だ。

 静かでおおらかな自然の中にいると、人生の中でのたいていのことはささいなことに思われる。目先のことに振り回されることなく笑って暮らしていきたい。そんなことを思いながら話し疲れて見やった清和高原の風景を写真に残した。この風景は実際の部屋、そして心の部屋の壁にずっと掛けていくことだろう。

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2011.10.12

秋晴れに 笑顔集まり 同窓会

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お粗末な一句から始まり失礼。この間の日曜日は中学校の大同窓会だった。大きな節目の年なので、まったく初めて参加してきた。三連休の中日なので冠婚葬祭なども重なったこともあると思うがそう多い人数ではなかった。言い換えれば見やすい人数だったので、それであればこその楽しさがあった。会合などでは、挨拶や談話に忙しくて本当に食べ損なうことが多い。しかし今回はしっかりと食べた。お酒は飲めないので食べることに専念した。そして時間いっぱい、いろんな人と話して、よく笑った。高校は女子だけだったので、男子がいると話は三倍くらい楽しかった。肥ろうが頭が薄くなろうが、顔見ると昔のままの同級生の男子だった。まっ、女子だって似たようなこと。でも出てきている人たちは元気だからこそ、のこと。参加していない同級生のことは「元気だろうか」「元気にしてるよ」と情報交換。果ては懐かしのフォークダンスもあった。

 日曜日の昼に開催された同窓会。空はすっきりと晴れ渡り、一部、ウロコ雲が広がっていた。あまりウロコ雲に心魅かれないのだが、この日のウロコ雲はニコニコ集まった同窓会のように思えた。

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2011.10.06

赤い一重のガーベラ

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 庭に一株だけあるガーベラは年に3回くらい咲く。それもたったの1輪だけだ。赤い一重の花弁のガーベラだ。私が子供の頃はこれがガーベラという花だと思っていた。近年、このガーベラをほとんど見ない。何十年も生け花やってきたけどお稽古花にも無かった。そして色とりどりの大輪の幾重にも花弁が連なっているガーベラがフラワーデザインだけでなく生け花でも明るくモダンに使われている。茎もしっかりとしていてインパクトもあり重宝する花だ。しかし、この赤い一重のガーベラにはなぜか惹かれる。それは昭和モダンとも言うべき郷愁と魅力があるからかもしれない。中原淳一の描く女性、つまり「それいゆ風」なスタイリッシュなクールビューティ感が滲む。細い白と黒のストライプのようだ。極めて細い茎ではあるがしっかり水を揚げている。また、その葉も絵になる個性派だ。タンポポの葉のようなギザギザカットで濃い緑色をしている。下手でも、よくこの花の絵を書いた。そして刺繍もした赤い一重のガーベラだ。
 年間に何回かしか咲かない、それも1輪だけというガーベラだが私は迷いもなく摘んで家の中に連れてきた。葉は大き目と小さめの葉を1枚ずつ選んだ。花器は、飲む酢が入っていたボトルだ。私は花鋏を持ち、しばらくドキドキした。じっと見つめていて、そして遂にはパパッと水切りして生けた。
 何かわからない、わからないけど心意気が感じられる花、赤い一重のガーベラ。「やってやろうじゃないの。」と小粋な流し目でいるような気がする。この花が日本的な花であるとは特に言い切れないが、一重の花弁の花はやはり本来の日本人の好みだ。国難の今、日本の心意気だとこじつけておこう。

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2011.09.26

伸び悩むワタ

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今年もワタの種を取り出して五月の連休明けには植えた。日当たり良い所に植えたのだが今年の夏は昨年の猛暑のようではなく、雨も多かった。そうした諸々の結果であるかもしれないが育ちが著しく良くない。背丈も40cmばかりだ。いつもならば60cmばかりになるし今頃は沢山の花が終わって実がふくらんでいっている。ところが、数日前に今回初めての花が咲いた。しかも一つ。
 私は毎年同じように心をかけてきた。蚊に刺されながらも毎日朝夕の水やりを忘れず、葉に虫が付いて巻き葉(中はクモの巣のようになっている)になっているものを取り除き、声かけして暮らしてきたのに・・・と恨みっぽい言葉が出そうだ。それでも伸び悩んでいるワタも可愛い。まだまだ大丈夫だよと声かけしながら励ましていこうと思う。

 白い花が翌日にはうっすらと赤みがかり、そうして数日後の花がしぼむ頃には赤く変わる。不思議だ。

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2011.09.17

それでは、栗は・・・

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 そうは言っても、たった5個ではあるがイガから取り出して栗の実を茹でた。どうしても痛い目に遭ったので私は食べないが、家族が二つ割りしてスプーンで実を食べる。

 しかし言ってみるものだ。前回の記事に親しい moko さんがコメントを付けてくれた。それだけでもありがたいのだが、なんですって!栗剥きクィーンですよ、みたいなことがカミングアウトされているではないか。これはラッキー!季節になると時には沢山の栗の実をいただくことがある。そのまま茹でて食べるにしろ栗ご飯にするにしろ皮剥いて渋皮剥いて、という手順がある。たいてい、夫とテレビ観ながら分業する。私が割り込み入れた栗をペンチで開いて皮を剥き、また出るけど器用な夫が渋皮を剥く。これにはアイデア商品フェアで購入した栗剥き鋏の「くりくり坊主」が活躍する。でもこういう器具無しで見事な作業をされるとは頼もしい。ぜひ機会があれば直ぐに栗コールして依頼しようと思う。もちろん、半分くらいは差し上げますので・・。どうぞヨロシク!

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2011.09.12

栗のイガに刺された!

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 昨晩いただいた栗の一枝だ。昨日の内は葉も新鮮だった。私が袋の中を確かめないで手にして「痛いっ!!」となった。見事に新鮮な栗のイガの鋭い棘に刺された。ルーペで見ると二本ばかり刺さっていた。なんのこともなくスッと抜くはずだったのだが、途中で折れて小さな先端が指の中に入ってしまい、ますます痛い。騒いでいると夫がやって来たので「助けて!」というはめに。夫は器用なので上手に取り出してくれた。ただ騒いだだけだったのに私は消耗してしまった。もう姿も見たくないと思い栗を台所のテーブルに置いて寝た。そして翌朝、葉は水を落としたが一枚の写真となった。

 栗はあんなにまでして守りたいものなのかと感心する。しかしゴム長や捧など使って、人はあんなにまでして食するものかとも感心してしまう。日頃、私は苦労しないでただ食べる人なのに厚かましい思いばかりがよぎる。どちらかというと、あんなにまでしても守りたい「希望」なのかもしれない。繋ぐ命への希望であるかも。
 それにしてもイガのこちらに三個、あちらに二個入っている栗の実を食べるのかなあと思案する。棘は抜けたが私の指はまだ地味に痛い。
 

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2011.09.01

タカノハススキ

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九月になった。我が家の庭にあるススキは葉に横斑が入ったタカノハススキだ。(言うならボーダー状で、縦に白く斑が入るのはシマススキ。ストライプということだ。)英名、zebra grass、シマウマ草というところだろう。モダンな感じのススキだ。
 庭のススキは既に穂を持ち、わずかな風に揺れている。残暑にうだる日中ではあるが風は確かに秋の風だと感じる。

 長い付き合いの夫の友人に季節感を大事にするお洒落な人がいる。その人は昔からどんなに残暑であっても九月に入ると間違いなく秋色を身につけていた。茶系の枯葉色、モスグリーンやダルレッドの配色など。しかもとても上手な扱いだった。それはそれは感心して見ていた。近くに住んでいるけどここ何年も会っていない。今日ももちろん秋色紳士なのだろうと想像する。毎年九月になった日に必ず思い出す。またフラッと現れてくれないかな。

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2011.08.20

玄関先デビュー

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 ドラセナ・サンデリアーナは鉢へと移住して我が家の玄関先にデビューした。こんなことする人は少ないだろうなーと思いながら釣り鉢を下げた。観葉植物はたいていのものがそうであるが直射日光には弱い。葉焼けなど起こし、うまく育たない。半日陰で明るい所が適する。あまり多いので根の伸びが少ない3本は元のテーブルの上での水栽培のままだ。壊れて、どうしようと思っていた部屋のエアコンは直ぐにセールを待たずに普通の値段で購入した。その涼やかな部屋にのんびりと過ごしている。
 玄関先には、元々ここにいましたというようなすまし顔で観葉植物の土に入り、鉢に入り、釣り鉢住まいになっているドラセナ・サンデリアーナ。

  夏は後引きながらも後退の時期を迎えている。秋がその角の向こうに見え隠れしながら登場する機会を虎視眈々と狙っている。久しぶりにのんびりした夏を過ごせた私ではあるが今年はなにかと心がざわめくことが多かった。落ち着いた秋を迎えたい。試験監督マニュアル本は放り出した。また近まってから開こう。これで頭痛からは解放された。

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2011.08.16

糸トンボ

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我が家の裏口から家に入ろうとした時、外壁にじっとしている糸トンボを発見。急いで家に入ってカメラを持ってきた。糸トンボはそのままいてくれた。そうっと近づいて写真を撮ったがこれが精一杯だった。そして糸トンボは「それでは・・」という感じでスーッと飛んで行った。何処に写っているのか見にくいのだが確実にいる。

 最近卒業したギフト仕事を除くと、私は単発の仕事に出かけているがそのほとんどが試験監督だ。なぜか自分に合っているようで、また高い時給で、気力と体力ある限りしていたいと思う。しかし今回、初めての国家資格試験の試験監督で主任をするのだが、恐ろしく自信がない。持ち前の度胸も発揮できないように感じられる。インターネットでその試験監督の試験に一発合格したものの、気が重い。試験日まで日があるのですごい量のマニュアルを時間あると読んでいる。昨日は「あー頭痛い」と思ったら本当に頭痛になった。いけないと思い、早くに眠剤飲んで寝た。
 糸トンボは心細い私の心境そのものだった。飛べない、風に乗れない、という感じでモルタル壁にしがみついている私のようだった。しかし遂には飛び立った。「大丈夫、大丈夫」とイメージトレーニングしていたのかな。私はまだ気が重い。なのにすぐに手に取るマニュアル本。早くその日にならないかな。それこそ、早朝にあの裏口から出た時には私はあの糸トンボと同じに、すっと飛び立つから。その時は気が重いとか感じてないはず。

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2011.08.09

ドラセナ・サンデリアーナ

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 家族がいただいたアレンジメントの花籠の花が傷み出してから、それを解体した。観葉植物のドラセナ・サンデリアーナの茎を短くして土台の目隠しにしてあったので約10本のその小枝を得て、心踊った。生け花での思い出が多い。しかし、昔のお稽古やその後の研修会などで生けたことはあるが自分で用意して生けたことがない。
 切り口を水に浸けていたら大体一週間で小さな根が出た。そうしてそれから二週間、いくらか気味悪いが根は伸びている。もう少ししたら鉢に移そうと思う。
 笹の葉のような細長い葉だがウェーブしていて表情がさまざまで良い。葉は緑色に黄緑色の縞班もあるが、これは緑色に薄いクリーム色で、私はこちらの方が好きだ。ドラセナはよく生け花にも使われていて品種もかなり多い。この「ドラセナ・サンデリアーナ」という名は「アンナ・カレーニナ」張りのドラマチックなヒロインのイメージがある。しかし今の私がこれを生けることができるだろうかと不安になる。古典花でなくモダンに生ける花には違いないと思うがドキドキする。

 私はまた最初からの花の日々を始めている。何十年分もおさらいしていこう。そう、ドキドキしなくっていい。とにかく、まだまだこの花生けはドラセナ・サンデリアーナが大きく育ってからのことだから。
 数年ぶりにギフト仕事をやめて家にいる夏は、ものの整理や、ことの準備で過ぎてゆく。

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2011.08.01

我が家のミョウガ

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 なんともう8月だ。テレビのライブ、世界水泳に狂喜してあれよあれよという間に盛夏。写真はミョウガだ。右側の皿に乗っているのは我が家の庭にわずかにできたミョウガ。左側は市販のミョウガ。一目でショボさと立派さが判る。我が家の庭の土は砂っぽく、肥えてないので肥料の助けも借りるがなかなか立派なものはできない。もちろん植物全般ハマッて育てていないのだが、ある程度自力で育ってくれるものが縁があると思い切ることにしているので実にささやかだ。しかしそれでもいくらかの花々もそれなりに力いっぱい咲いてくれている。足音と声かけが大切だがこの季節は蚊に刺されながらも水やりがかかせない。あれにこれに「おーい、元気ですかー」と言いながら朝に夕に水やりしている。

 私は出されたら食べるが、ミョウガは好んでは食べない。麺をはじめあらゆる料理に薬味というもの自体ほとんど入れることがない。家族の口に入っていくミョウガだ。しかし可愛いなあと思う。みじん切りしていても「ありがとう、ありがとう」と思っている。
 今年の世界水泳は、大きな災害にもめげずに立ち向かうような「前へ、強く、ニッポン!」という合言葉だった。そして全種目、それぞれの日本選手からその意気込み、勇気や元気を感じることができた。諦めない心で日本全体が励ましあって動いている。
 完成度の高い天才選手の横で自分のベストを尽くした感じの我が家のミョウガ。確かに去年よりは良かった。また来年、あと少し頑張れ。でも、よくやった。ありがとう、ありがとう。

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2011.07.16

暑中お見舞い申し上げます

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 今年も猛暑だ。しかも早くに梅雨が明け、暑い夏の日は長く続くと予想されている。プールバッグを持った小学生が本当にうらやましい。「まあ、今日はプール!?いいねー!」と言いたくなる。タオルハンカチ握り締めて歩き、汗拭ってばかり。空の雲は間違いなく夏の雲。モコモコとした真っ白な雲。カキ氷のようにも見える。
 
 暑中お見舞い申し上げます。ささやかなブログにお越しいただき、感謝感謝。涼やかなお花でも生けてアップしたいところが夏の雲とは。まあ、その内に。我が家はよく使う部屋のエアコンが故障。10畳以上の広さ用のエアコンが大幅に安くなるのを待っているところ。扇風機でハッハッ言いながら暮らしている。こちらもその内に。しかし、ゾッとするような現実があるよりは暑いと言いながら暮らしている方がいいに決まっている。東日本で被災された方々、少しでも心と体が休まる状態に近づいておられますように。
なかなか節電もできないけど、できるだけエコを心がけて過ごすことにしている。それでは皆様、お体お大切に、良い夏を!

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2011.07.06

八重クチナシの花

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 梅雨明けのような真夏日となったかと思えば、また今日は梅雨日和だ。しかも大雨、洪水警報なんてものまで出ている。古い家が強い風でガタガタ言っている。涼しいのだが台風のような日でもある。
 晴れた日にクチナシの花を摘んだ。私はたいていの花は一重咲きが好みだが、クチナシの花は八重が良い。我が家にショボいが八重クチナシの木がある。クチナシの花はこれは実に好みではないのだが甘い香りが強烈だ。一輪挿しているだけで部屋中に甘い香りが漂う。渡 哲也さんが「クチナシの花の 花の香りが 旅路の果てまでついて来る クチナシの白い花 おまえのような 花だった」と歌っていたが、なんとすぐに歌が出てくる。しかし、どんな女の人だよとも思ってしまう。まあ魅力的な女の人だろうけどね。フェロモン溢れ過ぎよねーとか。
 しかし、純白の八重クチナシの花は美しい。スクリューのようにひねった感じの蕾が開いていく様子は息を呑むことがある。その香りに釣られてかどうか、すぐに小さな虫が山ほど寄って来る。今回はそれ以前に摘むことができて実にラッキーだった。クチナシという名前は実が熟しても割れない(きんとんなど食品の着色に使用するあの実だ)ところから来ているらしい。葉は素晴らしい艶を持ち、美しい緑色だ。個人的に甘く強い香りだけが好みではないが、他の要素を列挙すると、やはり人にしてみれば魅力的な美人だよね。そう思いながらチラと見ると「・・ふふん」と不思議な笑みを浮かべた気がした。

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2011.06.27

ウサギの夫婦

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 夫と私の誕生日は10日くらいしか違わない。私が遅れること10日ばかりで同じ年となる。そうして今年もそうなった。夫の幼馴染みの moko さんが私たち夫婦のお祝いでウサギの夫婦の鉢をプレゼントしてくれた。鉢にはグリーン(ミニのアイビー)が入っているが、さすがプロ、いいバランスで葉が付いている。

 このウサギたちが夫婦であるかどうかは好きに決めたらよいことだが、私が見たところ、これは夫婦だなと思う。また、そう思ってプレゼントしてくれたのではないかなとも思う。顔をじっと見ていたら実に愛らしい。ポチョンとした感じが私ら夫婦に似ている。

 友人というものはありがたい。特に年々そう感じている。一山も二山もそれぞれ越えてきているから言ってくれる言葉も確かなことばかり。夫も私も早い内から普通よりも体に欠陥が出た。それらとも付き合いながら元気にやっていっているが、まあ大変。でも、皆も大変。支え合ってできている社会、とポスターのキャッチのようではあるがその通り。

 誕生日を覚えていてくれた友だち、ありがとう。時々思い出してくれる友だちもありがとう。賀状見る時だけ思い出してくれる友だちもありがとう。ウサギの夫婦、これからも明るくやってゆきますよ。ヨロシクー!

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2011.06.25

生け花の「ありたい姿」

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 この花器(大きな水盤)は直径43cm、深さは厚みは入れずに8cmある。上から見ると水面の半分が大きく空いていることがわかる。

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 両横と後ろ側から写したものを見てわかるように、できるだけ剣山の針目が見えないように葉で隠してある。予備の花がある場合にはその下部をいただくがこうして全部を使用する時には完全というわけにはいかない。それでも舞台裏はできるだけ見せないようにしたい。まして針のムシロなので。と言っても庭先の花の葉を持ってきて足すことはしない。違う植物の葉だけが短くガードしているのは不自然なことだ。だから、できるだけ、ということになる。この花はテーブル花であり側面は見られるものだが後ろまでの必要があるのかと言えばそれも正しいと言える。しかしどんな花生けをしても四方花である意識でありたい。

 なお側面からの写真で判るようにバラはぐっと傾けて挿してある。正面から見ると集合写真でワイワイ楽しんでいるように見えるし奥の黄色のバラはその後ろからピョコピョコしてピースサインしている別な団体に見える。正面写真は平面なので奥行きが判りにくい。実際に目で見ると判る。写真ももっと研究すれば上手く撮れるとも思うのだが・・・。いい湯だな状態であるのではなく長いものをぐっと傾けて高さを押さえて挿してある。葉もゆったりの水にすれすれであっても決して水に浸ってはいない。すっと水が揚がっているのは生命の勢いであって、水際をきりっと締めることが作品としての質を決定すると言えるかもしれない。そして、やはり水の面は徹底して美しく・・・。

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2011.06.23

バラの花束

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 誕生日に友人からバラの花束が届いた。どうもありがとう!夫はじめの男性からも、はたまた家族からも誰からもこれまで一度もバラの花(花束でなくても)をもらったという経験がなかった。メールが届き、私のブログから六月のバラを、ということであった。生け花する人だからアレンジでなく花束にしたとも。なんというお気遣い、感激。「ああ、花生けが・・・」と思いながらも生き別れた恋人のように会いたいけど会いたくないという不思議な感じをそのままに暮らしていた。

 一晩、水切りして養生させた後の翌日にささやかな花生けをした。枝ものは庭のアスパラガスメアリーを使用した。スクリーンがあったらよくよくアスパラガスが優しく生けられているのが判るが、室内の逆行のテーブルの上はいやはや。しかし言い訳がましいのだが、バラを生かすのであるから枝は霞のようであっても構わないことだった。まったく霞状なのだが。まあいいか、ととにかく撮影。ガラス製の大水盤はかなりの重量で、もはや移動させる気力、体力がなかった。バラは小ぶりで数が多かった赤を主にして大ぶりの花の黄色を後ろに、それぞれマッスにした。水盤の半分は水面であるが、この水面を徹底して美しい水に保っておくことが肝心だ。アスパラガスの小さな葉など、わずかな浮遊物もないように。楽しく、嬉しい緊張の花生けだった。

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2011.06.12

六月のバラ

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 先日、花しょうぶまつりに行った時、友人宅でお茶をご馳走になった。家の内外、いつもきれいにしている友人がきれいな器でケーキまで買ってきてくれてのブレイクだった。テーブルの上にはバラの花を半円球に生けていて、これがなんとも嬉しかった。庭にはバラを数種植えてあったので、庭のバラの花を摘んだのだろうと後で思ったことだった。

 五月のバラという言い方があり爽やかな季節のイメージでなんだか素敵ではあるが、私は六月のバラという方が好きだ。十年以上経ってしまったが六月にイギリスで見た黄色(山吹色と言った方がよいが)のバラが忘れられない。その旅から帰ってすぐに「英国の思い出」と名付けて私は花を生けた。その黄色と、イギリスのポストの赤の、二色のバラを生けた。単に自己満足というか、自分の心の記録のために。

 日本の六月は梅雨に入る時期、梅雨時期であり汗ばむ季節だ。しかし六月のバラには天候気候に負けない印象があるように感じる。
 友人が育てているバラの中には黄色のバラもあった。ハッとするほどの鮮やかさで、また見に行きたくなる思いがした。ここ数日、梅雨の大降りが続いているが雨風にも負けないで咲いていることだろう。何かわからない、わからないがあのバラの写真を撮っていると、話かけられている気がしてならなかった。

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